ゴンタの年末年始と母の匂い
あけましておめでとうございます。
…と書くのも恥ずかしい。
だって新年も7日だもの。
七草粥だもの。
早い。早すぎる。
2018年はあっという間に終わり、2019年もあっという間に明けた。
大晦日から夫の実家、というか夫の家で年越しをし、元旦に私の実家に移動して2日まで過ごした。
こんな普通の家族のようなお正月を過ごすなんて、かつての私たちでは考えられなかったことだ。
年末年始にいろんな場所に行ってたくさん人に会って、サトイモは一段と成長した。
ますます可愛さが増してくる。
いつもご機嫌で、こちらが笑いかければ笑い返してくれる。
この一週間で、私たちはサトイモのことを何回「可愛いね」と言っただろう。
一方、腕白さも激増だ。
つかまり立ちができるようになったので、慌てて、例のCMでおなじみのクッションリュックを購入した。
そのほか、コンセントにはガードをつけ、机のコーナーにはクッションをつけ、扉にはいたずら防止ロックをつけ…。
それでも思わぬところに手を伸ばすし、思わぬ転び方をするので目が離せない。
「ワンパクどころやないぞ。ちょっとゴンタ過ぎるんちゃうか」
夫がそう言うように、一時としてじっとしていないサトイモに毎日ヘトヘトになる。
腕白、やんちゃ、いたずら小僧、などなど、類似表現はあれど、しっくりくるのはやはり方言である「ゴンタ」につきる。
「それはダメ」「やめて」「じっとして」「引っ張らないで!」「触らないで!」「舐めないで!」「動かないで!」「いい加減にしなさい!!」
私の泣き言が繰り返される。
髪の毛を引っ張られたり顔をひっかかれたりして、私が「痛い!」と悲鳴を上げれば、逆にサトイモはニコニコ喜んでいる。
「男の子を育てる、というのは、こういうことなんやな」
と夫は言うけれど、お姑さんいわく、夫はこれほどゴンタではなかったとのこと。
一体誰に似たんだろうか。
そんなこんなで、ブログなんて書いていられない。もう継続は無理かもしれない。
いつか落ち着いてコンスタントに時間が取れる日が来るのだろうか。
母が母であること
元旦に、短時間だけれど母の病院に行った。
いつもと変わらないお見舞い。
たくさん目ヤニがついていたので、清浄綿できれいに取り除き、顔を拭いた。
ついでに首筋から胸元まで拭く。
母の顔からはチューブで入れる経鼻栄養の匂いがする。
いつもはそうだ。
けれど、なぜかこの日はその薬っぽい匂いがなかった。
一瞬、母の胸元から、母の匂いがした。
あ、お母さんの匂いだ…。
胸を突かれるほど、懐かしい思いがこみ上げた。
母がおしゃべりできなくなり、意思疎通ができなくなってずいぶん時間が経つ。
病気になる前の母と、病気になってから在宅で介護していた母と、病院にいる現在の母とはどれも別人のような気がするほどだ。
けれど、一瞬「お母さんの匂い」を感じただけで、まぎれもなく母は母であると確信できた。
すがりつきたくなるような気持になった。
前日に夫の家で、お姑さんと夫の妹さんとの仲睦まじい母娘をうらやましく見ていたせいもあるかもしれない。
「うちのお母さんだって、元気だったら年越しそばを作ってくれたり、一緒に紅白を見たりしたのにな…」
こんな歳になっても母に甘えたい気持ちがあることに自分でもびっくりしながら、何度かもう一度「母の匂い」を感じ取れないかと鼻を動かしてみたけれど、再現はできなかった。
私のアイデンティティ
私はメガネとコンタクトを併用しているし、髪型もしょっちゅう変える。
メガネですっぴんのときと、コンタクトをしてメイクをしているときではずいぶんと見た目が違う。
サトイモはちゃんと私を認識しているんだろうか?
以前からそれが疑問だった。
産後すぐの間はずっと引きこもりだったので、デフォルトがメガネですっぴんだった。
初めてコンタクトでメイクしたときに、
「私のこと、わかっているかな?」
と思ったことを覚えている。
けれど、サトイモが混乱したような様子は一度もない。
友達にそのことを話したら、
「視覚だけじゃなくて、赤ちゃんはママの匂いでわかってるんじゃない?」
という答えが返ってきた。
「石鹸とかシャンプー、服の柔軟剤の匂いもあるだろうし、匂いなんかで母親を認識できる?」
と私は半信半疑だった。
匂いを嗅がれているというのが、何かこそばゆいせいもあった。
でも、今はわかる。
匂いこそ人のアイデンティティかもしれない。
Eテレで『すくすく子育て』という番組があって毎週見ているのだけれど、その中で保育園で採用されている「分身人形」というアイデアが紹介されていた。
ママやパパの古着を使って人形を作り、それを分身人形とするもの。
親の匂いがついているので、保育園でぐずったときに子供が安心できるのだとか。
なるほど。
サトイモが入園するのはまだまだ先だけれど、そのときには私の分身人形を作ってあげようと思っている。
愛されて満9か月
三連休最終日の月曜日にも、またサトイモに蕁麻疹が出て、こども初期急病センターへ行った。
顔中真っ赤に腫れるくらい前回よりもひどかったにもかかわらず、今度は夫がいてくれたおかげで、はるかに余裕のある対処ができた。
私は軽く受け止めていた一方で、蕁麻疹を初めて目の当たりにした夫はひどく心配した。
「早よ病院で診てもらったほうが安心や」
と言って車を走らせたけれど、病院に来たら待合にインフルエンザの子供がいて、
「こんなことやとわかってたら連れて来るんやなかった。サトイモにうつったらえらいことや」
とまた心配した。
今回も食事から蕁麻疹が出るまでに時間が経っているのと、嘔吐や唇の腫れなどがないことから、
「食べ物によるアレルギーではないと思いますね」
と医者は言った。
じゃなかったら何か、と尋ねても、
「原因の特定は難しいんです。『これは蕁麻疹です』としか言いようがないんですね」
と言う。
それだけ軽く扱われたのも納得できるほど、薬を飲んだら翌日には跡形もなく消えてなくなった。
「前のがまだ完全に治りきっていなかった可能性もあります」
という見立ても合っていたかもしれない。
それから数日経っているけれど、一度も再発していない。
このまますっかり治ってくれればいい。
幸せな赤ちゃん
病気のときの対応が物語っているように、夫はサトイモをものすごく可愛がっている。
歳をとってからできた子はかわいいというけれど、まさにその通りなのだろう。
夫はしょっちゅう、
「見てみ、この可愛い赤ちゃんを!」
と私にサトイモを見せてくる。
「…知ってます。24時間一緒におるんやで!」
と、呆れてしまう。誰に言うとんねん。釈迦に説法とはまさにこのこと。
そんな愛すべきサトイモも今日でちょうど満9カ月になった。
相変わらずのズリバイ状態だけれど、最近はハイハイを飛ばして、つかまり立ちをし始めて大変である。思わぬところに手が届くようになってきた。
やんちゃでわんぱくで毎日ヘトヘトにさせられるけれど、笑顔が可愛くてついつい許してしまう。
かつてお姑さんから、
「今も可愛いけれど、これからますます可愛くなるよ」
と言われたことがあった。
そのときはわからなかったけれど、振り返って新生児の頃の写真を見てみたら、まるでお猿さん。
「ほかの新生児って朝青龍かガッツ石松みたいだけど、うちの子は全然違うわ」
と本気で思っていたのだから、我ながらアホすぎる。
小さいだけでお猿さんみたいな新生児期より、今のほうが断然可愛い。
というか、今が可愛さのピークかもしれない。
「おまえはよう生まれてきたなぁ。こんなに愛されて幸せな奴やなぁ。どこの家やったら幸せになれるか、わかって生まれてきたんか?」
と夫が言うので、
「そうよ。サトイモは賢いから、ぜーんぶわかって生まれて来たのよ」
と私は言い返す。
サトイモが愛される存在で本当によかった。
夫もお姑さんも親戚も、みんなサトイモを愛して可愛がってくれる。
本当に、よかったなぁ、としみじみ思う。
そしてサトイモは本当に、こうなることをわかって私のお腹に宿ったのかもなぁ、と想像しては、「将来は見通しのきく大物になるぞ」と親バカぶりを発揮したりする。
生まれる前の話
妊娠が発覚したときは、サトイモがこんなに愛されるという確証はなかった。
もしかしたら、私一人で育てることになるかもしれない、と思ったこともあった。
妊娠がわかってから夫はしばらく、「頭が真っ白」だと言って物事を保留にしていた。
あまりにも真っ白が続くので、
「そんなに嫌だったら、逃げてもらってもいいよ」
と言ったほどだ。
逃げ出すことはないにしても、いつまでたっても話が進まないので、
「子供のことを考えたら、生まれるまでに入籍しておいたほうがいいと思うけれど、どう思いますか?」
と私が提案し、夫はようやく、
「それでいいと思う」
と言っただけだった。
今、その当時の話をすると、夫はすごく嫌な顔をする。
「真っ白になったのは一瞬だけやったで」
とウソを言ったり、
「その時は、こんなに可愛い赤ちゃんが生まれてくるなんて知らんやんか。知っとったら真っ白になんかならんかった」
とサトイモの可愛さでごまかしたりする。
結果オーライなんだけれど、ときどき、もし結婚せずにシングルのままサトイモを産んでいたらどうなっただろう、と想像してしまう。
実家に帰ることにしただろうけれど、父母の世話や介護をしながら育児だなんて、耐え難い苦労とストレスだったに違いない。
大槻ケンヂの息子になった可能性
桑名正博の隠し子を自称する男性をワイドショーで見た。
その男性は、銀座のホステスだった母親から、桑名正博の息子だと言われて育ったそうな。
ふと、もし私が夫と結婚せずにシングルマザーになっていたときのことを想像してみる。
サトイモに父親のことを尋ねられたら、どうしただろう。
「あなたのお父さんは…、あなたのお父さんは、…お、大槻ケンヂよ!」
夫に逃げられたことを消し去りたいがために、妄想もまじえてそんなウソを言ったかもしれない。
「弾き語りで神戸に来たときにそうなったのよ。でも、オーケンの名誉のために、絶対にこのことは内緒にしてね」
そして私が死んで、オーケンも他界して数年が過ぎたとき、サトイモはオーケンの幼馴染だという関西弁の男に出会う。
「もう名前を出してもええんちゃう?」
その人からカミングアウトを勧められ、サトイモは父親の足跡をたどる全国行脚の旅に出る。
顔にヒビを入れ、カラオケで「ボヨヨ~ン!」と叫ぶ長髪の青年。
彼は行く先々で金銭トラブルを起こし…。
…書いていて情けなくなってきた。
つくづく、シングルマザーじゃなくてよかった。
蕁麻疹で夜中の受診
もう先々週の出来事になるけれども、初めて夜間に病院へ行ったのでその記録。
そもそもは、サトイモが咳をし始めて夜中に鼻がつまるようになったのが始まりだった。
とうとう初めての風邪をひいたんだな、と注視していたものの、熱は出ていないので病院には行かずにいた。
その日は、私が久々に美容室に行く日で、朝からバタバタしていた。
出かける前に授乳しておこう、とサトイモを抱いたら、首の後ろに赤い点がポツポツとできている。
見た目はダニに噛まれたあとにそっくりだった。
ダニ!?
でも、ダニが首を噛むかなぁ?
気になったものの、予約の時間があるのでそのまま出かけてしまった。
美容室では最初のほうこそ静かにしていてくれたサトイモだったが、後半ひどくぐずりだした。
サトイモを連れて美容室に来たのはこれで3回目だけれど、これまでずっと大人しくしてくれていたので、それに甘えてカットにカラーにトリートメントまでやっていると、ひどく長時間になってしまった。
ベビーカーから抱き上げると泣き止むのだけれど、ベビーカーに戻すとまた泣き出す。
お腹が空く時間だしね、と哺乳瓶を取り出したら、なんと乳首をミルトンに漬けたまま家に忘れて来てしまった。
肝心の乳首がなければ、お湯もミルクも持ってきた意味がない。
なんて馬鹿チンなんだろう!!と自分のアホさにショックを受けながらも、こんなときこそ母乳だ!とスタイリストさんに頼んで授乳室を貸してもらうことにした。
借してもらったスペースは、スタッフルームというか物置のような場所で、狭い部屋にいろんなものが置かれていた。
練習台のマネキンの首が怖かったようで、そこに入ったとたんにサトイモが大泣き。
泣いて泣いて、おっぱいどころじゃない。
部屋を出るとピタリと泣き止むのだけれど、入るとまた泣く。
出たり入ったりしているうちに、サトイモの首が赤くなっていることに気が付いた。
後ろだけではなく、耳の下あたりまで赤い。
グズるのはこのせいかもしれない…。
これは美容室を出たらすぐ皮膚科に行ったほうがいいのかも…。
でも、お腹が空いてるから、おっぱいを優先させなきゃだし…。
泣いているサトイモが気が気ではなく、髪を切ってもらっていても気持ちばかりが焦る。
スタイリストさんが最後に鏡を持ってきてくれても、
「あーもー、いーですいーです」
と髪型を確認もせず、おざなりに言ってそそくさと帰った。
家に帰っておっぱいとミルクを飲むと、あんなにグズっていたのがウソのようにいつものサトイモに戻った。
けれど、首の赤い腫れはひかない。
離乳食の食べこぼしでかぶれたんだろうか、と考えたりもしたけれど、食べこぼしなんて毎日なのに今日だけこんなことになるなんて解せない。
とりあえず夕方の離乳食はお休みすることにして、お風呂に入った。
…実は、このときの判断が間違いだった。
お風呂から上がると、虫刺されあとのような赤いポツポツがみるみるうちに増えていった。
入浴前はなかったのに、お腹、背中、ふともも、肩、二の腕、とどんどん現れてくる。
何これ!?
どうしよう!?
明日皮膚科へ行くにしても、とりあえず写真を撮っておこう、とスマホで撮影した。
サトイモの裸んぼの身体を押さえながら、私自身も裸んぼのまま撮影会。すっかり湯冷めしてしまった。
本人はいたっていつも通りで、ニコニコしながら裸んぼのままハイハイでどこかへ行こうとする。服を着させるのは格闘。着るか逃げるかのデスマッチ。
見るだけでもかゆくなるような赤さなのだけれど、本人が元気なので救われた。
着替え後、「赤ちゃん 虫刺されのような跡」でネット検索すると、「蕁麻疹」という単語が出てきた。
そうか、これは蕁麻疹なんだ!
恥ずかしながら、これまで湿疹と蕁麻疹の違いもわからずにいた。
さらにいうと、「あいつを見たら蕁麻疹が出る」なんて、蕁麻疹と鳥肌も混同していたかもしれない。
幸い、サトイモ本人はかゆがるそぶりもなく、熱もない。
お風呂から上がった後は、ミルクを飲んで寝てしまった。
おかげで、私も慌てることなく、とりあえず蕁麻疹についてネットで調べてみた。
たいていの蕁麻疹は数時間でひっこむらしい。
とりあえず様子を見ることにして、添い寝しながら私も眠ることにした。
こんな夜に限って、夫が家にいない。お酒を飲んでいるので車を運転できないと言う。
午前1時、サトイモが泣くので起きた。
授乳の時間だ。
ついでにオムツを交換すると、まだ脚には蕁麻疹がたくさん出ていた。
確認すると、体中、入浴後よりも広がっているように見えた。
しかも、右の頬にまで出ているではないか。
あるサイトで、「顔に出たら要注意。大至急病院に行きましょう」と書いてあったのを思い出した。
蕁麻疹がのどや鼻に広がったら、呼吸困難を起こす可能性があるからだ。
大至急病院って、ほんとにほんと!?
本人はかゆがるそぶりもなく、ミルクを飲んだあとは満足してスヤスヤ眠っている。
もう深夜2時になろうかという時間、できれば私だってこのまま眠りたい。
でも、本当に呼吸困難のリスクがあるならどうしよう…。
そこで、「#8000」に電話をして相談することにした。
「#8000」は厚生労働省がやっている子供の医療について電話相談ができるサービスダイヤルだ。
神戸市の「すくすく赤ちゃんセミナー」だとかNHKの「すくすく子育て」などでその存在を教えてもらって、いつか使うことがあるかもしれない、と覚えていたのだ。
電話をかけると、最初は混み合っていて通じなかった。
しばらくしてもう一度かけると、今度はつながった。
事の顛末を離すと、受話器の向こうにいる女性の方が、
「そうですね、今から病院に行かれることをおすすめします」
と勧めてくれた。
正直、「あせらなくても大丈夫ですよ、明日にでもかかりつけ医に相談してください」と言ってもらえるんじゃないかと期待していたので、
「い、今からですか? こんな夜中に?」
と、ガッカリして尋ねた。
「こども初期急病センターなら朝6時まで開いていますので、今すぐ行かれたほうがいいですよ」
「はあ、そうですかぁ…」
そう言われると仕方がない。
先方には先に電話で受け入れ確認の連絡をしてから、服を着替えて、タクシーを呼んだ。
出産で破水をしたときも急ぎでタクシーを呼んだけれど、夜中でも配車センターがきちんと機能していたのはMKタクシーだけだった。その経験上、今回は迷わずMKに電話をした。
サトイモを抱っこ紐で抱っこして家を出る。
本人はやはり平然としていて、夜中の街を珍しそうに眺めていた。
到着したこども初期急病センターはクリスマスのイルミネーションで飾られていて、なんだか楽しい場所にやってきたように思えた。
診察で、離乳食では初めて食べた食材はないこと、数日前から咳と鼻水鼻詰まりがあったこと、などを説明したら、先生は、
「おそらく、風邪のウイルスによるものでしょう。体調が悪いと、これまでなんともなかった食材でアレルギーを起こすことがあります」
と言われた。
そして、処方箋と一緒に蕁麻疹についての説明が書かれたプリントを渡された。
プリントによると、蕁麻疹は温めると出るので、お風呂に入れたり布団や毛布をガッツリかぶせたりするとダメなのだそうだ。
確かに、お風呂に入れて全身に出て、夜に寝ている間にひどく増えた。
知らなかったとはいえ、なんでお風呂に入れてしまったのかなぁ、と後悔してしまった。
医者からは、明日にはかかりつけ医に診てもらうように言われた。
というのも、こども初期急病センターはあくまで救急なので2日分の薬しか出せないのだという。
決まりだから仕方ないんだろうけれど、内心、
「けち!!」
と毒づきたくなってしまった。
薬をもらって、帰りのタクシーを呼ぶ。
タクシーが来るのを待っている間、センターの待合室をうろうろしてみた。
やなせたかし直筆のアンパンマンの大きな油絵(?)と色紙がかかっている。
大きな原画のほうはなかなかの迫力で、アンパンマンが大好きな子供にはうれしいだろうと思われた。これを見ただけで、ちょっとだけ来てよかったという気持ちになった。
家に帰ったら5時前だった。
再びパジャマに着替えてベッドに入る。
数時間後にはかかりつけの小児科へ行かないといけない。
起きられるだろうか…。
そう思いながらウトウトしていると、ガチャガチャと玄関の鍵が開く音で目が覚めた。
「連絡もらってから心配で眠れんかった」
と、朝一番で夫がやってきた。
それに対して返事をしようとしたが、声が出ない。
今度は私が風邪をひいてしまった。
それから10日ほど経つ。
サトイモの蕁麻疹は出たり出なかったり。
私は咳がなかなか止まらない。
皆さんも体調には気を付けて。
生きるとは、食べて出すことなり。
離乳食が始まって、何が変化したって、サトイモのうんちである。
ミルクだけだったときは、
「赤ちゃんのうんちなんてどこが汚いの?」
なんて豪語していた。
それが、ミルク100%でできているうんちじゃなくなったら、匂いが違う。
いっちょ前に臭い。うんちの臭さだけは大人と同等という生意気さ。
離乳食が1日2回になってからは出す回数も増えて、1日2~3回は出る。
食べた分だけ出すわけだ。
大便について、「毎日出るのが理想だと思われているけれど本当は食べた分だけ出るのがいいのだ、1日3食なら3回出すのが理想なのだ」と誰かが言っていたのを思い出す。
今のサトイモの排便は理想的なのかも。
父の排便状況
昔、うちの父はそんな人だった。
「男の人は腸が短いから、早く出るのよ」
とこれも誰かが言っていたが、本当に早く出す人だった。
ごちそうを食べた日などは、
「もううんこになって出てもうた。せっかくのごちそうを、もっと腹にためとかな損やな」
とよく冗談を言っていたものだ。
そんな快便だったのに、老人になってから父はときどき便秘をするようになった。
私のように便秘が珍しくない人なら、
「今日は出なかったね」
くらいで済むのだけれど、出るのが当たり前として何十年も過ごしてきた父は、ちょっと出ないだけで大騒ぎする。
私の出産前後でしばらく実家に帰れなかったとき、父が低栄養状態になっていたことがあった。
そのときに、ちゃんとごはんを食べないといけないよ、と注意すると、父は、
「ここんとこうんこが出ぇへんのや。出るまで食べるのやめとこかな」
とトンデモないことを言ったので、
「逆!!食べないから出ないんでしょ! 材料もないのにうんこを製造できるか!」
と怒鳴りつけてしまった。
しかしそれ以後も、父はちょくちょく 便秘になったから毒掃丸を飲んでいると言うようになった。
しかその頻度がだんだん増えてきた。
マグミットという便秘薬
そこで思い出したのが、母の便秘の薬だった。
母は病院でマグミットという便秘薬を処方されていて、毎食後飲んでいた。
マグミットは便を軟らかくして排泄しやすくする。
きばる力が落ちている高齢者には定番の薬らしかった。
私が妊婦のときにも、マグミットが処方された。
妊娠中は腸が圧迫されて便秘になりやすいけれど、出そうとしてきばるとおなかに圧がかかるので胎児のほうに良くない。
そこで、便を軟らかくして出しやすくするマグミットの出番だったのだ。
実家に帰ったとき、余っていた母と私のマグミットを父に勧めた。(薬を他人にあげるなんて絶対しちゃいけないことはわかっているけど、同じ酸化マグネシウムの便秘薬は市販もされているくらいなので大丈夫だろうと自己判断。念のため書いておくけど絶対ダメなことですよ。)
ちゃんと飲むように、ほかの血圧の薬などと一緒に仕分けしておいた。
後日、父に電話をかけて便秘の状況を尋ねた。
「どう?便秘の具合は?マグミット効果あった?」
「それがな、お風呂入っとうとき、おならや思ってプーいわしたら、ごっついのんがブリブリブリっと出てもうて、えらいことやったんや」
ええーっ…。
マグミットは便を軟らかくして出しやすくする薬である。
だから、ちょっときばるだけでも簡単に出てしまうのだ。
薬を勧めるときに、
「出やすくなるから、もらさないように気をつけてね」
と説明はしたのだけれど、父が私の話をちゃんと聞いていたわけがない。
「おかしいんや。あんな簡単に出てまうなんてなぁ」
「だ~か~らぁ~っ!!」
説明はしたのだ。でも、壁に向かってボールを投げているみたいに情報が弾き返されてしまう。
「後のほうのは軟らかかったからすぐ流れたんやけど、最初のほうのはグリコみたいな硬いのんがあってな、それが流れんで苦労したんや。ギューギュー押し込んで潰して流したわ」
「なんでお風呂場で流すのよ!?そんなん流したらあかんって!!」
話を聞きながら顔がひきつったけれど、いくら言ったところで後の祭りである。
お風呂場の排水溝が詰まっておかしくならないことを祈るばかりだ。
ここのところ『東京ポッド許可局』というラジオ番組を毎週楽しみに聴いているのだけど、その中でお風呂場でおしっこをすることが話題になっていたことがあった。まったく、うちの父に比べれば、おしっこなんてかわいいもんだ。
庭木とひばりとおばあさんのウサギちゃん
三連休の初日は実家に帰った。
到着すると、家の前に軽トラが止まっていた。
庭木を切る有料ボランティアさんが来ていて、まさに作業の真っ最中だった。
植木屋さんではないので剪定はできないらしく、父が、
「全部2メートルの高さで切っといて」
とお願いしていた。
父にとっては、植木屋ではないほうが都合が良かったようだ。
というのも、昔、植木屋さんがときどき家に飛び込み営業に来ていたことがあって、売り文句がだいたい、
「庭をこんなふうにしとったらあきまへんで」
というものだった。
松の枝はこういう具合にせなあかん、鬼門にこんな木を植えたらあかん、家の裏手はこう作らなあかん、と植木屋さんはあれこれ言う。
植木屋さんからすればそれはアドバイスで、
「じゃあ、そのようにお願いします」
と言わせたいのだろうけれど、父には人の庭を好き勝手言われているようにしか聞こえず、
「そんなに松が切りたかったらそこの山になんぼでも生えとうがな、切って来いや」
と腹を立ててしまうのだった。
一方、知識がない分、どの木もどの枝も高さ2メートルで切ってくれる有料ボランティアさんのほうが、父にはありがたい。
私にとっても、ようやくジャングルのようになっていた庭がすっきりすると思うとうれしかった。
これまで、
「お金払ってプロに頼んだら?」
と私がいくら言っても、
「いいや、お父さんがやる」
と意地を張り、
「やるやるっていつやるんよ? やらへんしできへんでしょうが!」
と口論になってばかりだったからだ。
他人の力を借りようと父が思うようになってきたのは、杖なしでは歩けなくなったここ4、5カ月のことだ。
自分の限界をようやく認識したのだろう。その点では脚が悪化して、かえって良かった。
ちょうどいいタイミングで有料ボランティアさんを紹介してくれたケアマネさんにも感謝である。
「切った枝は持って帰ってくれるんや。助かるわ」
自分で枝を切ったら、後片付けも当然自分でしなくてはならない。
ゴミ捨てができない父にとっては、切った後の枝をゴミ袋に詰めて燃えるゴミに出すという作業がなかなかできなかった。
そこまで含めて作業してもらえるのは本当にありがたい。
そんな高齢者が多いせいか、庭木を切る有料ボランティアさんはとても人気で、先月くらいに依頼をかけていたのに来たのは今の時期。
「年内には行けると思います」
と言われていたそうだけれど、思ったより早く来てくれてよかった。
本格的に落葉するまでに間に合ったのは幸いである。
ひばりが歌う
今回、母の病院にはイヤホンを持参していった。
母は起きていて、私が、
「なみ松が来たよ!」
というと、目が反応してくれた。
「サトイモも連れてきたで」
と抱っこして目の前に近づけた。
前は母に近づけると泣いていたサトイモが、今回は興味津々で母の顔に小さな手を伸ばし、頬をぺちぺちと触った。
「おばあちゃんだよ~」
母もサトイモも、わかっているのかわかっていないのか、わからない。
「今日は音楽聞かせてあげるからね」
母の耳にイヤホンをつけ、Amazon Musicで美空ひばりをかけた。
『悲しき口笛』から始まる初期のベスト盤だ。
再生した瞬間、母の目が輝いた。
母に音楽を聴いてもらっている間に、顔を拭いて目ヤニを取ったり、手足にクリームを塗ったりした。
指を見ると、爪がひどく伸びていた。
病院では切ってくれないのだろうか…。
夫は車で待ってくれているしサトイモも長居させたくないので、お見舞い時間はあまり長くとれないのだけれど、この爪の長さは看過できず、切ることにした。
途中、病院スタッフによるオムツ替えがあり、一旦私が退出しないといけない間も、母には私のスマホでひばりを聴いてもらっていた。
結局病院には30分くらいいたので、その間、母は8曲くらい聴けただろうか。
ものを言えない母なので推測だけれど、心なしか顔色が明るくなって、喜んでくれたような気がする。
音楽の力は偉大なり。
おばあさんは何かあげたい
私が作業をしている間、サトイモはベビーカーに乗せていた。
家の中では大暴れするサトイモだけれど、ベビーカーで外出するとサトイモは大人しくしてくれる。
本当におりこうさんである。
けれど、それもだんだん過去のことになりつつあって、最近はゴソゴソ動くようになってきた。
病室でも、騒ぐとまではいかないまでも、ベビーカーからなんとか脱出できないかと身体をひねったり、唸り声をあげたり、ベルトやカバーを触って舐めまくったりして落ち着きがなかった。
前回から、お向かいのベッドの方と話をするようになった。
90歳くらいの、上品なおばあさんである。
脚が悪いのかベッドからは降りられないようだけれど、頭はしっかりしていて、会話もきちんとしていてボケてはいない。
いつもテレビを見ながら色鉛筆で絵を描いている。
前回は紅葉の絵を描いていたので、季節の風景を描いているのかなぁ、と思っていたけれど、今回は桜だったので、季節とは関係なさそうだ。
そのおばあさんも、サトイモが来るのを喜んでくれていて、
「何かあげられるものがあったらええんやけど…」
と身の回りをゴソゴソと探し始めた。
「まだおやつも何も食べられませんから、けっこうですよ」
と断るけれど、
「何か…、何かないやろか…」
と、こちらの話は聞いちゃいない。
「せめて、これを抱かせてあげて」
とおばあさんが出してきたのは、ピンク色のウサギだった。
ふわふわした毛並みのやわらかそうなぬいぐるみで、いかにも赤ちゃんが好きそうなものに見えた。
なぜおばあさんがそれを持っているのかわからないけれど、古いものではなく、汚れなども見当たらなかった。
それでも、やはりちょっと抵抗があって、
「この子、なんでも舐めてしまうんで」
と断った。
その間もサトイモがベビーカーから脱出しようともがいているので、おばあさんが心配して、
「汚しても大丈夫やから」
と差し出す。断るのも申し訳なくなり、
「じゃあ、ありがとうございます」
と少しの間、サトイモにウサギを抱かせることにした。
「よかったね、ウサギちゃんだよ~」
とぬいぐるみを渡すと、サトイモは当然のようにそれを抱きしめた。
しばらくしてから、
「この子のよだれがつかないうちに、お返ししますね」
とおばあさんに返したけれど、おばあさんはやっぱり、
「何かあげられるものがあったらよかったんやけどねぇ」
と残念そうな顔をした。
帰りに夫にその話をしたら、潔癖なところのある夫は案の定、
「知らんおばあさんのぬいぐるみなんか、気持ち悪くない!?」
と言った。
夫の気持ちもすごくわかる。
だから私も躊躇した。
でも、おばあさんの好意も無下にはできなかった。
赤ちゃんを見ると、おばあさんたちは、
「何かあげたい」「何かしてあげたい」
と思うようだ。
お姑さんも、しょっちゅう何かを差し入れてくれる。
サトイモに何かをあげたくて仕方ないらしい。
一番サトイモに何かをあげたかった人は、うちの母だった。
母の分まで、すべての人の好意をできるだけ素直に受け止めたいと思っている。
帰ってきたマリリン・モンローと妊娠・出産の視差
筋肉少女帯の新しいアルバム『ザ・シサ』は、タイトルの「視差」と同様に、多くの曲でオカルティックなこともテーマになっていて、『マリリン・モンロー・リターンズ』もそのひとつだ。
野坂昭如『マリリン・モンロー・ノー・リターン』のシャレにもなっているこの曲については、オーケンがインタビューで「大人になった今しかできないなと思いました」と語っているように、これまでの歌詞とはちょっと異なる。
『マリリン・モンロー・リターンズ』は、テレビの企画でイタコのおばあさんにマリリン・モンローの霊を呼び寄せてもらいゲラゲラ笑うはずが、本物の霊が降りてくる、という内容の歌。
筋少には『イタコLOVE』という恋人の霊を呼ぶ曲があるし、ゾンビになって死んだ男が恋人の元へ帰ってくる『トゥルー・ロマンス』や、特撮の曲だけれど生まれ変わって戻ってくる『パティ・サワディー』もある。
そんなふうに、これまでのオーケンの歌詞でも死からの再来が何度も描かれているけれど、『マリリン・モンロー・リターンズ』がそのどれとも違うのは、モンローが「復讐」のために戻ってきたという点だ。
小説『ステーシー』をモチーフにした『再殺部隊』に出てくる少女ゾンビが、「好きな人にもう一度会うため」よみがえったのと対照的な気がする。
少女は恋心を、女は恨みを抱く。
対して、相手の男はというと、少女ゾンビなら「血まみれだって抱いて」くれるのに、モンローでは「世界の美女が帰る夜 すべての男は怯える」。
なんだか、クラリスがあれほど魅力的なヒロインなのに、峰不二子がいまいち魅力的に描けなかった宮崎駿を思い出す。
「女の帰って来る日は 置いてきた猫取りに来る時だよ」というフレーズに、私は別れのせつなさを感じたのだけれど、作者のオーケン自身は「ゾッとしますね」と語っていて、これこそ男女の視差だと思ってしまった。
そう、最も大きな視差は、男女の間にある視差なのだ。
「4回しか」なのか「4回も」なのか
今回のアルバムが、
「同じものでも視点が異なれば違って見える」
という視差がテーマだと聞いたとき、
それな!
とひざを打った。
妊娠・結婚・出産・子育てを経て、一番感じているのが夫婦間の視差だったからだ。
同じものを見、一緒に経験しているはずなのにまるで違う。
少し前になるけれども、NHKで『透明なゆりかご』というドラマを放送していた。
産院が舞台のこのドラマを、毎週夫婦で一緒に見ていた。
去年までの私たちなら興味すら持たなかったようなドラマだ。
妊娠・出産という経験が、私たちの趣味すら変えていく。
ドラマを見ながら夫が、
「こういう風景懐かしいなぁ~、俺もずっと通ってたからなぁ」
というので、ギョッとした。
そのセリフ、私が言うなら当然だけど、あなたが言いますか!?
そう思ってしまうのは、私の中では、
「産まれる前まで妊婦健診に付き添ってくれたこともないし、入院中もあんまり来てくれなかった」
という思いがあるからだ。
特に覚えているのは、出産後初めての土曜日に、会いに来てくれなかったことだ。
引っ越しと出産が重なってメチャクチャなことになってしまったのも、わかっている。
でも、5分でいいから会いに来てほしかった。
平日は仕事が忙しいからあまり来れないのだから、せめて休みの日くらいは来てくれるだろう、と期待していただけに、傷ついたのだ。
私がそのことを恨みがましく言うと、
「あのとき引っ越し作業でどんなに大変やったか! ベビーベッドや必需品の手配も全部俺一人でやったんやで!」
と夫に逆に怒られた。
「だとしても、ほかのパパに比べて、病院に来た回数は少ない!」
と主張する私。
「いいや、よう行ってた!」
と言い張る夫。
仮に週に4回来てくれていたとしたら、私は「週に4回しか」と感じ、夫は「週の半分以上も行った」と感じているのだろう。
これこそが視差そのもの。
妊婦さんは無理しちゃいけない
これもだいぶ前の話になるけれども、多めに買っていたサトイモのオムツがサイズアウトして、某アプリで売りに出したときのこと。
宅配だと送料がかかるので手渡しを希望していたら、ある妊婦さんが手を挙げてくれた。
彼女の仕事帰りに駅で受け渡しをすることになった。
「ベビーカーにオムツ2パックもぶら下げて駅まで行けるかなぁ」
と私が不安がっていると、
「家まで取りに来てもろたら?」
と夫が言う。
「相手の方は妊娠中なのよ。向こうの都合に合わせてあげないと」
「それやったら余計に、ちょっとくらい歩いたほうが運動になってええんちゃう?」
「とんでもない! 重いもの持たせて歩かせられへんわ!」
私は妊娠中、会社の人などからよく「無理をするな」と声をかけられていたけれど、私自身はよく理解していなかった。
重いものを持つな、エレベーターを使え、あんまり歩き回るな…。
無理をした結果こういうことになるのだ、とわかったのは産道が短くなっていると指摘されてからで、結果1か月以上も早産になってしまったときには後悔に変わった。
夫と歩いていたとき、ちょくちょくお腹が張って、
「もうちょっとゆっくり歩いて」
とお願いすることが多かった。
物件探しも兼ねて私たちはよく散歩に出かけたけれど、
「どうしてこの人は、妊婦の私をこんなに歩かせるだろう…」
とよく不満に思っていた。
オムツの受け渡しについて話をしているうちに、夫は「妊娠中は身体を動かしたほうが良い」と思い込んでいたことがわかった。
妊娠中の運動を推奨する文章なども目にするし、鍛えておいたほうが出産時に難産になりにくいとも言われる。
確かに、一般論においてはそうだ。
けれど、私の場合は仕事もしていたし、電車で1時間かかる実家までの往復に母の介護もあり、「無理をしないように」と言われている状況下だった。
「身体を動かしたほうがいい」のは、家でゆっくり休める妊婦さんの話だ。
「運動させたろうと思って歩いていた」
と言う夫に、私は愕然としてしまった。
私も、健診で医者に言われていることを夫にちゃんと話さなかったのが悪かった。
自分のことだから自分さえしっかりしていればいいと思っていた。
無理をするなと言われたことを伝えたのは、「このままでは早産しますよ」と脅されてからだったと思う。
わかるだろう、わかっているはず、が一番危ない。
視差を縮めるのは、対話だけ。
ただでさえ、男と女の間には深くて暗い川があるのだから。