いでよ、神龍!
金曜日の午後に母の病院から着信履歴があって、折り返し電話をかけたのは会社を出てサトイモのお迎えに行く途中だった。
主治医の用件はこういうことだった。
「肺炎を起こしていて、呼吸が苦しそうで、熱も出ています。元の病気を考えれば、いつ急変してもおかしくない状態です」
そして、
「今からこちらに来ることはできますか?」
と尋ねてきた。
「今からですか?!今神戸にいるので、そちらに着くころには夜遅くになるんですけど、明日ではダメなんですか?」
「ダメという話ではなくて、いつ何があってもおかしくないので、今日中にお顔を見に来られたほうがいいかと、まあそう思いますんでね」
「それは…、つまり…、生きている母に会えるのは今晩だけかもしれないということですか?」
「なんとも言えませんが、元の病気がありますから、そういう可能性があるということです」
「そんな…」
私は急なことで動転してしまった。
「最近は会われてませんでしたか?」
「会うもなにも…、コロナ禍で面会できない状況が続いて、去年の7月に一度だけ会わせてもらっただけです…。それもフェイスシールドをつけて、近寄るなと言われて…」
私が声を詰まらせると、医者は少し声を和らげ、
「そうかそうか…。会えてなかったら、余計びっくりしますよね」
「今はもう面会できるんでしょうか?」
「今も通常はできないんです。けれど、今回はね」
医者ははっきりいわなかったけれど、「死に目に会いたければ来い」、そういう話だ。
来るなら何時頃に着くか、あらかじめ病院に連絡をするように言われ、電話を終えた。
悲しみがわからない
幼稚園から家まで、すんなり帰れた試しがない。
それが日常。
最近のサトイモはマンホールの蓋と道路に貼られた工事用の目印シールに興味があり、
「ガス、おすい、E-0.5、こうべしのマーク」
などと言いながら、チョロチョロ動き回る。
マンホールを見つけたら、道路をいきなり走り出すから危なくてしょうがない。
でもこの日は「日常」ではない。
「あのね、サトイモ。今日はいつもと違うんだ。今日はこれからじぃじのうちに行くんだ。パパが帰ってきてくれて、車で行くんだよ」
いつもの調子で走り回るサトイモにクギをさす。
「なんで」
「ママのママが病院にいるでしょう?今日これからママのママに会いにいくんだよ」
「なんで」
「調子が悪くなったから、お医者さんから来てくださいって呼ばれたんだ」
「なんで」
「病気だから」
サトイモはどうにも理解してくれない。
道路にしゃがみ込んで動かない。
「早く帰ろう!いい加減にして!」
「いやだ」
「なんでわかってくれないの?早くお母さんに会いに行きたいの!」
「ママもこっちにきてくれないとうごけない!ママもいっしょにガスかんをみてくれないと!!」
サトイモは座り込んで、アスファルトの隙間の土をほじくりはじめる。
「早く帰ろうよ…」
私は一緒にしゃがみこんで泣いた。
「ママがつらいのをわかってよ…」
「いやだ。わからない」
サトイモはしばらく土をほじくっていた。
肝心なときに弱い人
夫に連絡すると、朝出るとき22時頃の帰宅予定と言っていたのが、仕事を早く切り上げて帰ってきてくれるという。
私一人で電車に乗って行こうと思っていたけど、
「車で行こうか。そのほうが早いやろ」
と夫が言ってくれるので、甘えることにした。
私はこう見えて、土壇場に弱い。
すぐにパニクる。取り乱す。
とりあえず病院に来いと言われても、一体どう準備すればいいのかうろたえるばかりだった。
ボストンバッグに私とサモイモの分の3日間くらいの着替えを詰めた。
メガネ、充電器、替えのマスク、おやつ、お茶…。
とにかくしばらく帰れなくなってもいいようにする。
それくらいしか浮かばない。
父には連絡したけれど、ほかに誰かに連絡したほうがいいんだろうか。
右往左往するばかり。
夫が帰ってきてくれて、なんとか車で出発することができた。
来週から夫はまたセルビアへ出張する。
「俺がおるうちでよかったな」
本当にそう。
相談相手になってくれて、車を出してくれて、夫には感謝しかない。
父の人でなし
父が先に病院に着いたと、わざわざ病院から電話があった。
「一緒に面会されますか? 入るのをちょっと待ってもらいましょうか?」
そんなつもりは毛頭なかったので、先に入ってかまわないことを伝えた。
のちほど、面会を終えた父から電話があった。
私は車の後部座席でそれを受けた。
「入口から病棟まで行くんがしんどかったんで、車椅子に乗せてもうたらラクやったわ」
いきなりあなたの話ですか…。
「お母さん病室が変わっとったな。酸素マスクつけとったわ。おい、おい、言うたけど寝とって起きひんかった。あんまり大きな声出したらあかんしな。ほんで帰ってきた」
私たちは到着までもうしばらくかかりそうだと言うと、
「行ってもしゃーないで。声かけても、返事もせえへんのやから」
と言う。
私はびっくりしてしまって、
「そういうことやないやん! たとえ何の反応もなくても、お母さんの魂がまだあるなら、伝えたいこととかあるでしょう? 感謝の言葉とかないの?!」
と声を荒げると、
「何を感謝することがあるんや。こっちが感謝してほしいくらいや」
と父が言うので、頭にきてしまった。
もうええわ、と電話を切って、夫やサトイモへの体面もかまわず声をあげて泣いた。
夜の病院
夫が早く帰ってきてくれたおかげで、病院についたのは20時過ぎだった。
3人それぞれに、面会記録の記入、コロナ対策の誓約書の記入、検温が必要で、マスクの上にやはりフェイスシールドをしなければならなかった。
ふだんの病室は大部屋だが、個室に移動させられていた。
父が言ったように酸素マスクをつけていて、酸素飽和度や脈拍を測定する機械につながれ、その機械がひっきりなしにビービーと警告音を発していた。
母の呼吸は本当に苦しそうで、のどから呻き声のような音がもれる。
なんとか楽にしてあげることはできないのか、何もできなくて狼狽した。
お母さん、お母さん、と声をかける。
以前のように近寄るなとは言われなかったので、手を握ったり身体をなでたり、思いつくかぎりのことをした。
手を握りながら、話しかけられるだけ話しかけた。
感謝の言葉、思い出、サトイモの近況などなど。
しばらくすると、母の目がだんだん開いてきた。
個室なのでもうフェイスシールドを取った。
私の顔を認識してくれたかもしれない。
サトイモは機械の音を怖がって近寄らないので、本人の顔を見せるかわりにスマホで写真を見せた。
イヤホンで美空ひばりの曲をきかせた。
ドラゴンボールを集めたなら
しばらくして看護師がやってきた。
最初に連絡をくれた柔和な印象の女性看護師だ。
「苦しさを和らげる方法はないんですか?」
と聞いてみたが、
「酸素マスクのほかは…」
と困った顔をするばかりだった。
「抗生物質の点滴をしてるんですけど、それが効いてきたら落ち着くかもしれません。夜中にもう一回投与しますので、それが効くかどうか…」
なんとかしてあげたくても、どうにもならない。
呼吸困難の苦しみから人を救う手立てを、人類はまだ持っていない。
もしドラゴンボールを7つ集められて、神龍が出てきたら、私はこう願う。
「人の苦しみや痛みを止める力を私にください。病気を治す力じゃない。苦しみや痛みを感じなくさせることができるような力がほしいんだ!」
一刻も早く、母を苦しみから救ってあげたかった。
でも、神龍がいないから、今は無理。
きょうはりょこう?
結局2時間くらいいただろうか。
サトイモが帰りたいとダダをこねだしたので、病室を出ることにした。
晩ごはんも食べていないのだから、当然である。
急変したら電話してもらう約束で、私達は病室を出ることにした。
夫が、病院のすぐ近くにあるホテルを取ってくれたので、この夜はそこに宿泊。
夕食はマクドナルド。
ハッピーセットを買ってもらってサトイモはすっかりごきげんになり、
「きょうはりょこう?」
といい気な旅気分である。
結局、夜中に電話がかかってくることはなかった。
翌朝、私だけ先に病室へ行った。
入った瞬間、峠を越えたことがわかった。
眠っている母の呼吸が安らかになっている。
酸素飽和度も落ち着いていた。
昼前になって夫とサトイモもやってきた。
機械の警告音が鳴らなくなったのでサトイモも怖がらなくなり、母の近くで顔を見せてやることもできた。
ガラの悪いおばちゃん看護師に、
「なんぼ危篤でも、コロナ禍の面会は短時間でお願いしとんのに、まだおったん!」
と叱られるまで部屋にいた。
その後、病院からは何も連絡がない。
今に至っても。
ということは、肺炎からは回復してきているのだろう。
危篤になったおかげで、約1年ぶりに母に会えた。
そして、命も長らえた。
よかった、よかった、と言えなくもない。
でも。
母はまた苦しみから解放される機会を失った。
いずれまた、あの呼吸困難が母を襲う。
褥瘡ができ、体重も30キロをきったと聞いた。
神龍、お母さんをできるだけ痛みと苦しみを感じないようにしてあげて。
ドラゴンボールは集めてないけど、それくらい叶えてよ。
知能検査を受けた結果(3)
【前回からの続き】
前回2回で専門家による知能検査(WISK-Ⅳというらしい)結果の分析について書いた。
専門家について、ずいぶんズケズケ言う失礼な人みたいな書きぶりをしてしまったが、言われている私はそんなに嫌な気はしなかった。
「お母さん、あの子と付き合うのは大変だったでしょう」
と言ってくれたときは、理解者が現れたような気持ちになった。
「うちの子は問題児で手がかかって大変だ」
と愚痴をもらしても、たいていの人は、
「男の子なんてそんなもんよ。もうちょっとしたら落ち着くんちゃう?」
と慰めてくれる。
そりゃそうだ。
「あんたの子、めちゃくちゃ問題児やなぁ」
とは言えないからだ。
「どの親も同じように大変なんだから。みんな同じように頑張ってるんだよ。あなただけが特別じゃない」
それが、優しさから出た言葉なのはわかる。
夫もそのクチで、私がサトイモを育てにくい子だと愚痴ると、
「自分の子どもを発達障害児扱いするんか」
と諌めた。
でも、私は特別しんどくて、特別大変な場所で奮闘しているのを認めてもらいたかった。
特別扱いしてほしかったのだ。
だからこそ、専門家が、
「大変だったでしょう」
と言ってくれた言葉が忘れられない。
「あの子がおったら家事なんかできへんでしょう」
「そうなんですよ。でも、もともと家事が好きじゃないので、できへん言い訳にさせてもらってます」
「とっくに限界を超えてますよ。よく頑張ってこられましたね」
なんだかじんわり、恥ずかしいようなくすぐったいような、ちょっと泣きたいような気持ちになった。
思わず視線をそらしちゃう
その後、
「順番が前後しますが」
と、妊娠中から赤ちゃんの頃、幼稚園入園までについて、専門家によるヒアリングが始まった。
妊娠中のことだなんて、ずいぶんさかのぼるんだな、とは思ったが、すべてつながっているということなんだろう。
「こだわりはありますか?」
「大きな音を嫌がることはありましたか?」
「お母さんの手を持っていって操作させる、ということはありますか?」
「トランポリンなどでジャンプをするのが好きですか」
といった質問内容から、発達障害について当てはまるかどうか聞かれてるんだな、ということはピンときた。
当てはまるものもあるし、ないものもある。
その中で、びっくりしたのが、
「視線が合いませんね」
と指摘されたことだった。
「えっ?合いませんか??」
「さっき少しここにいたとき、一度も目が合いませんでした。パッと見、気づかないかもしれません。絶妙に少しだけズラしてます。上手に、しかも意図的に。」
言われてみて初めて気がついた。
目が合わないことはないが、ときどき、必死にしゃべっているときにどこを見ているのかわかないときがあるのだ。
それを夫は、
「おい!おまえまたロンパリなってる!」
と言い、お姑さんも気にしてやいやい言うので、眼科に斜視の検査をしに行ったことがあった。
結果、眼球の位置は正常で斜視ではない、幼児のうちは鼻梁が低いので斜視に見えがちなだけだ、と言われたのだった。
「視線をずらすから、斜視みたいに見えるんですよ」
専門家に言われて、
「目が合わない」
という指摘がズシンと重くなった。
それは、ネットなどでよく出ている発達障害診断によく出てくるチェック項目だからだ。
診断は必要か否か
「お母さんから『ADHDかもしれないと思って発達支援教室に通い始めた』というお話があったので、あえてADHDという言葉を使いますが、私はそうだと思います。加えて、そのほかにも可能性はあるでしょう」
「そのほかっていうのは、アスペルガーとかですか?」
私が尋ねると、専門家はなぜかはっきりとは口にせず、
「可能性はあると思います」
と濁した。
そのくせ、
「病院で診断を受けて、はっきりわかったほうがいいでしょうか?」
と尋ねると、
「診断が必要ですか? 」
とややトゲを感じる口調できいてくる。
いや、こっちが聞いとんねん。
「名前をつけるより、この子の今の状況を理解してあげるだけでええんと違いますか」
そう言われたら、ぐうの音も出ない。
そのくせ、
「診断を受けられるなら、病院を選んでください。発達障害に理解のない病院だと間違った診断を下されることがありますから、専門のところへ。ハーバーランドの近くに詳しい小児科があります。ADHDならお薬が効いて落ち着く場合もありますから」
と言う。
ますますどうしたらええねん。
「昔やったら、勉強できるんやからええやろ、とほっとかれたタイプです。でも今はそうではありませんから。大丈夫ですとはいいませんが、できるだけのことを探っていきましょう」
と、専門家は「通級指導教室」なるものをすすめてきた。
続きはまた
…というところで、また続く。
というのも、これを書いている金曜日、母の病院から電話があった。
肺炎を起こしていて、かなり呼吸が苦しそうだという。
「元の病気からして、いつ急変してもおかしくない状態ですので」
と今日中の面会を勧められた。
夫も早く帰ってきてくれて、車で母の病院に向かっている。
知能検査を受けた結果(2)
【前回の続き】
※知能検査の設問に関してはフィクションを加えました。というのも、同じ検査を受ける方に問題が漏れてはいけないらしいので、盛ったり引いたり作ったりぼかしたりしてます。
「ですが」
と専門家は一区切り置き、
「質問の答え方を見ていくと、質問者の意図とは関係なく答えている、設問の意図がわかっていない、ということがわかります」
と専門家は言った。
「聞いてる相手のことはおかまいなし。彼はすべてがマイワールド、マイペースで生きているんです」
部屋に入ったとき、専門家はサトイモとちょっと挨拶を交わした。
それだけなのに、ずいぶんわかったように断言するなぁ、と驚いた。
だが、マイワールド、マイペースは全くそのとおり。
なんだか、占い師に占いの結果を聞いているような気分になる。
「例をあげましょう。好きな動物を3つ聞かれたとき、彼は『らいおんちゃん、くんくん、ころすけ』と答えました。これ、動物じゃないですよね」
「お気に入りのぬいぐるみです」
私は検査のとき後ろで聞いていて、可愛らしい間違いだとほのぼのしたが、専門家は厳しい。
「動物、と言われたら3歳の子でも(!)生きている動物を答えます。ぬいぐるみって、ちょっとズレてますよね。これに代表されるように、年齢なりの正確さがないんです。どこかにズレがある。そして非常にあいまいに、漠然と世界を捉えています」
確かに、サトイモは理解できていることと、全然わかってないことの差が激しい。
なんで動物3つが言えないのか、確かに不思議だった。
「ふだん、お母さんがどこで買い物をしているか尋ねたときも、答えが出ませんでした。でも、お母さんお父さんと何回もスーパーへ買い物に行っているはずです。お店の名前でもかまわない。でも、出てこない。わからない。自分の興味関心で店内を走り回ることに一生懸命で、お母さんが何をしているのか、一切目に入っていないのです」
言われてみれば、そのとおり!
スーパーで走り回ってるなんて一言も言ってないのに、なんでこの人わかるの?!?!
マイワールド、マイペース
「お母さんや先生方が教えたことはちゃんと理解して答えています。でも、教えてないことは何もわからない。なんとなく察するとか、雰囲気でわかるということがない」
あ、そういう人、よく知ってる。
うちの父だ。
御香典を茶封筒に入れて持っていこうとしたので、
「常識で考えたらわかるでしょう!」
と注意したら、
「誰も教えてくれんかったもん」
と答えた父。
数多く起きた母とのボタンの掛け違いでは、母はよく、
「アホやないんやから考えたらわかるやろ?なのにお父さんはわざとあんなことやって、私に嫌がらせしとんや!」
と怒っていた。
わざとではないのではないか?
父は本当にわかってないのでは?
そう思うようになったのは、私が「発達障害」という言葉を知ってからだ。
そうか、サトイモもあのタイプなのか…。
専門家が指摘したいことが、だんだんわかってきた。
「彼には世の中の流れがわからないので、自分の力で考えると、とてもユニークなものになります。例えば、、、」
専門家はいくつかの珍回答を教えてくれた。
Q.窓は何のためにある?
A.鍵を失くしたとき、窓から入るため
Q.この女の人の顔の絵の中に足りないものがあります。何でしょう?(正答:目が片方ない!)
A.首から下
「非常にユニークです。今は笑って済ませられます。でも、二十歳になっても同じ回答をしていたら困るでしょう? 彼が生きづらくならないように、これからお母さんや先生方が事細かに、普通は教えなくてもわかるようなことでも、丁寧に世の中のことを教えていってあげてください。」
不足するイメージ
その後、専門家から「全滅」だった質問項目について説明を受けた。
一つは、抽象的な言葉。
具体的な物の名詞はよく知っているけれど、抽象的な言葉が全滅だと言われた。
その中の一番の珍回答はこれ。
Q.お父さんお母さんはお仕事してるけど、お仕事って何かな? 何のためにお仕事してるのかな?
A.忙しくしていたいため
確かに、真理ではある。
本当にその仕事は必要なのか?
現代人の病ではないのか?
そんな哲学すら感じるが、質問者はそんな禅問答をやってるわけではないのだ。
「抽象的な言葉だけではありません。文章題の算数も全滅でした」
例えば、
「太郎さんはリンゴを1つ持っていました。花子さんはリンゴを2つ持っていました。合わせていくつ?」
というような問題。
私もサトイモが答えているのを聞いたとき、「あれ?」と首をひねった。
知育アプリでは、算数がとても得意だからだ。
例えば、右に○が3つ、左に○が4つあって、合わせていくつになるか、選択肢から数字を選ぶような問題は、スラスラ解ける。
なのに、なぜ文章題は1+1がまるで答えられなかった。
「文章を聞いて、その内容を頭の中でイメージすることができないから解けないんです。イメージする力が非常に弱い。それが顕著に現れています」
専門家が次に指摘したのがお絵かきだった。
「積み木で図形を作る課題は優れていますが、絵を描く課題になるととたんに描けなくなります。絵を描くためには、描きたいものを頭にイメージする必要があります。それができないから描けないんです。」
サトイモはひどく絵がヘタだが、言われてみれば納得だ。
幼稚園の担任の先生も納得したみたいで、
「お絵描きをしようとなると、彼は文字を書きたがるんです」
と幼稚園での様子を教えてくれた。
「そうでしょうね。文字は定型化された記号ですから、文字を書くのは得意なはずです。お絵描きの時間、どうしても難しそうだったら、先生が枠だけ描いてあげて、色を塗るだけでいいようにしてあげるなど、配慮してあげてください。」
専門家はそこまで幼稚園の先生に踏み込んでアドバイスしてくれた。
それにしても、イメージする力がそんなに弱いとは。
イマジンできないなんて、ジョン・レノンが墓場で驚いてるよ。
だからバカに見えるけど
もうひとつ、全滅パレードに加わったのが、短期記憶という分野だった。
短い文章を覚えて復唱する問題が、カラッキシだったのだ。
これも思い当たるフシ、あるあるだ。
神経衰弱ゲームがとても弱い。
さっき言ったことやしていたことを忘れてしまう。
親からすると、
「この子、残念ながらあんまり頭良くないのかも…」
と思ってしまう瞬間だ。
でも、専門家によればそういう特性らしい。
「この子への指示は1つずつにしてください」
と専門家が言うと、また担任の先生が幼稚園エピソードを話してくれた。
「クレヨンは棚にしまって、粘土と粘土板を取ってきて、イスに座りましょう」
という指示を出したとき、サトイモは粘土だけを持ってきて、
「ねんどとってきたよ。ねんどとってきたらいいんでしょ? ぼくねんどもってるよ」
と何度も先生に言いに来て、そのあとどうすればいいのかわからなくなってウロウロする、ということがあったらしい。
そんな子ども、バカにしか見えない。
私は「サトイモは幼稚園でそんなことになってたのかぁ…」と思いながらも、
「そんなときは、指示をひとつひとつにバラしてフォローしてあげてください」
と専門家が先生に伝えてくれてたことを感謝した。
「今はまだいいですが、小学生になるとお友達の輪の中でそれが問題になってきます。『あれとこれを持って、あそこであれして遊ぼな』となる。みんなが『な!』で暗黙の了解で去っていく。彼だけが、みんなが何しにどこへ行ったかわからず、ぼんやり佇んでいる。そんなことが起きます」
嫌な予言だけれど、想像がつく。
サトイモの学校生活のことを考えると、暗い気分になる。
でも、そうなりがちだということがわかれば、回避策だって可能だということだ。
そういえば、サトイモがとんでもない悪さをしたとき、私がカッとなって、
「なんでそんなことするんやバカタレ!」
と怒鳴ったとき、サトイモは、
「ぼく、バカタレじゃないよ!」
と泣きながら訴えてたっけ。
サトイモはバカじゃない。
ちょっと発達にデコボコがあるだけなんだ。
【まだ続く】
知能検査を受けた結果(1)
幼稚園の先生から、幼稚園連盟がやっている専門家の「子育て相談」を受けることを勧められたのは昨年の11月頃だったかと思う。
サトイモが幼稚園に慣れ、落ち着いた頃だったので、
「でもまだ、幼稚園側からしたら、そういうとこを勧められる問題児なのね…」
と少々ガッカリしたものだ。
勧めてくれたのは、サトイモ担当と言っていいほど面倒を見てくれている副園長先生だ。
「今行っている発達支援教室もいいですけど、また違った視点からアドバイスが受けられますよ。小学校に上がる前にこの子育て相談を受けることで、学校の授業へも適応しやすくなるって聞いてます」
とても人気があるので半年くらい待つとは聞いていた。
でもというかだからというか、秋に申し込んで、面談の連絡が来たのは3月。
ちょうど幼稚園がコロナ陽性者続出で閉鎖が頻発、私も年度末でバタバタしていた頃と重なり、日を延期してもらうことになった。
ようやく5月になって、子育て相談を受けてきた。
「子育て相談」というタイトルなので、親の悩みを聞いてくれてアドバイスしてくれるものだとばかり思っていたら、そうではなかった。
2日に分かれていて、1回目は子どもの検査。というか実際はテスト。
2回目はその結果を受けて専門家が解説とアドバイスをしてくれる。
なんと2回目は幼稚園の担任の先生も一緒に来てくれて、専門家のアドバイスを共有してくれるという丁寧さだ。
そして先日、その2回目を終えた。
これは一味違うぞ
最初は、サトイモも同室で過ごせるように、面談の部屋の中にマットが敷かれ、玩具が置かれていたのだけれど、
「サトイモくんは大人たちが自分のこと話してるなぁということはわかりますか?」
と尋ねられ、
「わかると思います」
と答えると、サトイモは別室で別のスタッフが預かって遊んでもらうことになった。
専門家の先生は年配の女性だけれど、保育関係者によくあるようなお母さんタイプのおばさんではなかった。
キャリアを積んだ女性の、少し居丈高な雰囲気。
どこかの大学の助教授だという。
私と幼稚園の先生にイスにかけるように言うと、まず私に、
「で、お母さんが心配されていることは何ですか?」
と尋ねた。
心配? ❛心配❜かぁ…。
「それは、今心配していることですか? それとも将来の心配ですか?」
「どちらでも」
困っていることは山ほどあるけれど、❛心配❜と言われると言葉に窮した。
「以前は勝手に走り出したりして、交通事故にあわないか心配でしたけど、最近はそういうことも減りましたし、高いところに登ったり危ないことをするのも減りましたし…」
答えに困っている私の様子に、
「でも、何らかの心配事があるから、この相談を受けようと思われたんでしょう?」
そう言われたので、幼稚園の先生に勧められたことや、おおまかな経緯を説明した。
1歳半健診のときに言葉が遅くて、区役所が主催する支援クラブに通っていたこと。
コロナでそのクラブが実施されなくなり、代わりに個別診断が行われたこと。
その個別診断では、発達にバラツキがあるのかも、と言われつつ、今のところ問題はないから様子を見ましょうと言われたこと。
幼稚園に通うようになると、脱走などの問題行動が起きて、ADHDかも、と思い、発達支援教室に通うようになったこと。
発達支援教室では良い子なのに、幼稚園や家庭ではときどき問題行動が出ること。
専門家は、
「発達にバラツキがある、というのは具体的には?」
「そんなに詳しく説明を受けたわけではないので…」
専門家がまるで尋問のように聞いてくるので、私もつい口ごもる。
「で、問題はない、様子を見ましょうと言われたんですね」
「はい」
すると、専門家は呆れたようにため息をついた。
テスト結果に驚く
そして本題。
専門家が私たちにテスト結果を見せながら、
「とても頭のいいお子さんです」
と、きっぱりと言い切った。
そう言われて、私がうれしくないはずはなく、なんだか照れてしまった。
「受けていただいたテストはWPPSIというテストで、いわゆるIQをはかっています。だいたい100が真ん中だと思ってください。言語性IQが118、動作性IQが129あります。全体として129。つまり、お子さんには130近いIQがあるということです」
えっ、IQ130!?
一般人のIQは100前後だ。
はかったことはないけど、私もたぶんそれくらいだろう。
夫は大人になってからIQを調べる機会があり、120くらいだったそうだ。(ちょっと自慢気だった。)
ということは、サトイモのほうが私達より賢いってこと?!
しかも子どものIQは6歳ごろまで伸びる。
サトイモはまだ4歳1か月だ。
これまで、サトイモをそんなに賢い子だと思ったことはなかった。
東大生の幼児期のエピソードなんかと比べると、記憶力もいいとは言えないし、飲み込みもさほど良くない。
それなのに、IQ130?
「全項目においてさほどバラツキはなく、すべての項目において10を超えています。迷路は突出してできていますね。15ですからね」
確かに、サトイモは迷路が好きで、赤ちゃんの頃からタブレットのアプリで迷路を解いていた。
子供向けアプリとはいえ、一番難しい迷路もクリアしたときはちょっと驚いたっけ。
「この数字だけをみれば、知能は問題ありません、となります。子ども家庭センターで問題ありませんと言われたのも、それはそうでしょう」
専門家はそこで言葉を区切った。
「ですが」
【話が長くなるので、ここでいったん切ります。次回へつづく】
5歳の孤独
先週の金曜日、サトイモは幼稚園で遠足に行った。
遠足といっても、みんなで公園まで歩いて遊びに行くだけ。
幼児の足でも片道15分程度のショートトリップだ。
その公園は大倉山公園といって、私たちがよく行っている図書館の上にあり、かつて通っていた児童館の奥だった。
サトイモにとっては、勝手知ったる公園である。
大きな総合公園の中をいつもサトイモは自在に走り回るので、私は連れて行くといつもヘトヘトになる。(しかもこっちは図書館で借りた絵本を数冊リュックに入れてるんだよ!)
足がすべりそうな茂みの坂でも平気で入っていくし、高いところにも登るので、危なくてしょうがない。
目を離すとすぐ見失い、迷子になったことも幾度か。
なので、遠足の前日、お迎えに行った際に、
「勝手に走っていって、みんなとはぐれないか心配です」
と伝えると、
「サトイモくんは列の先頭で私のすぐ後ろですから大丈夫だと思いますが、よく見ておきますね。去年の遠足でも迷子になったと申し送りを聞いてますし」
と担任の先生。
えっ?!去年の遠足で迷子になった?!聞いてないけど?!
とビックリしつつ、でも幼稚園側で理解してもらってるならまあいいか、と、
「先生方も大変だと思いますがよろしくお願いします」
ととにかく気をつけてもらうようお願いした。
家族の休日
結果的に、自由遊び中に少し脱走することもあったようだけど、すぐに先生に確保され、遠足は無事終了。
「たのしかった」
と帰ってきたものの、
「ブランコしたかったけど、ならんでてできなかったんだよぅ」
と心残り満々だった。
「あしたおやすみだから、あしたいくよ!」
と勝手に決めている。
親の都合も聞かずに勝手に決めやがって、とは思うものの、ちょうど図書館の本を返却しなければならなかったので、土曜日は夫も交えて一緒に図書館と公園に遊びに行くことにした。
夫に車で送迎してもらうことは多々あるけれど、歩いて公園まで一緒に出かけることは稀である。
運動不足解消の散歩がてら、本人も乗り気でついてきてくれたけれど、公園に着いてしばらくしたらお腹が痛いと言い出した。
夫は気の毒な人で、昔から、平日は緊張から便秘気味、休日になるとお腹がゆるくなってトイレにこもる。
リラックスタイムであればあるほど、腹痛に苦しみ、トイレに駆け込む。
海外経験豊かなくせに、トイレの清潔さにこだわり、公園のトイレは嫌だからと図書館のトイレまで行くと言い出した。
父親がいてもいなくても公園で遊ぶのに変わりはない。
ごゆっくり、と送り出した。
しばらく遊んだあと、サトイモと二人でお茶休憩をした。
5月の公園は晴れて過ごしやすく、たくさんの子どもたちが遊んでいた。
楽しそうに走り回る子どもたちを見ながら、サトイモがこんなことを言った。
「しょうがくせいは、パパやママといっしょにきてないコもいるね」
「そうねぇ。小学生だったら、お友達と子供だけで遊びに来てるのかも。サトイモも、小学生になったらお友達と来てもいいよ」
「ぼく、しょうがくせいになっても、パパとママといっしょにあそびにきたいよ。いい?」
「いいよ。サトイモがそうしたいならね」
「ぼくはずーっとずーっとパパとママとあそびにきたいよ」
可愛いことを言うなぁ、でも、そんなの小学校中学年にもなれば変わっちゃうもんだよ、と私は心で苦笑いした。
夫もいればよかったのに、と思った。
だって、夫は溺愛するサトイモがいつまで「パパ大好き」と言っていてくれるか、いつ「おとんウザい」と疎まれるようになるか、心配しているからだ。
さてさてサトイモはいつまで可愛い息子でいてくれるものだろう。
『万引き家族』のリンちゃん
日曜の朝、夫は釣りに行って不在だったので、サトイモが目覚めるまでの間、私はのんびり一人で映画を観ることにした。
朝6時から8時までのゴールデンタイム。
カンヌでパルムドールを取って話題になった後ずっと観たいと思っていたのに、それから3年も観れずにいた。
ようやく。
あの擬似家族の背景を詳細には語らないところが絶妙で、想像力をかきたてられる。
捨てる神あれば拾う神あり。
捨てられたときの個々の背景、拾われたときのきっかけや事情などが頭の中で広がる。
映画の持つ奥行きの力なのだなと思う。
個人的にはどうしても、リンちゃんと呼ばれることになる女のコと彼女を取り巻く子育て環境に注目してしまった。
安藤サクラが、
「好きだから叩くなんて嘘。本当に好きだったらこうするんだよ」(←不正確です)
と(というようなセリフを)言ってリンちゃんをギュッと抱きしめるシーンにジンとくる。
オネショに効くおまじないだといって樹木希林がリンちゃんに塩を舐めさせるシーンも、しょーもないことだけど象徴的だと思った。
厳しい親ならオネショを叱り、体罰を加えることだろう。
今どきの過保護な親なら(私もその傾向)、
「幼児の塩分の取り過ぎはよくないです。根拠のない古い子育て方法で余計なことしないでください」
と言って世代間ギャップにギスギスするかもしれない。
肉親ではないからこそ、緩やかに認めあえる関係が温かい。
もうちょっとで見終わる、といったところで、サトイモが起きてきた。
平日は起こさないと起きないくせに、休みの日は定時に起きるんだから嫌になる。
「ママ映画を見てたんだよ。もうちょっとで終わるから最後まで見せて」
とサトイモをソファに転がして、一緒に続きを見た。
ラストシーン、リンちゃんが一人で遊んでいるシーンを見たサトイモが、
「このコ、ひとりであそんでるね。ひとりぼっちなの? かわいそうね」
と言った。
5歳の子どもが一人ぼっち。
私はたまらなくなってサトイモを安藤サクラのように抱きしめた。
公園のユウキちゃん
その日の夕方、私たちは二人でまた別の公園に行った。
なんだかんだ行って、土曜日も十分にブランコに乗れなかったので、サトイモはまたブランコに乗りたいと言い出したのだ。
しかも大きい子みたいに立ち乗りがしたいとのこと。
何事もマイペースなサトイモは、お出かけの準備が遅くて公園に行くのが夕方になり、おまけに公園に着いてからもしばらく砂場で遊んでいて、「結局またブランコせぇへんのかーい!」と私は心の中で突っ込んでいた。
夕方の公園は小学生の天下である。
ブランコも男女問わず小学生が占領していて、すごい勢いで漕いでいる。
幼児の親からしてみたら、小学生のブランコは兇器そのもの。
あれにぶつかったら大ケガ必至。
漕いでいるブランコの前後は近寄らない、柵の内側に入らない、と口酸っぱく言っているけれど、言いつけが守れるかどうか毎回ハラハラする。
できればブランコのことは忘れて、砂場で終わってほしい。
そう考えているときに限って、サトイモは目ざとくブランコがひとつ空いたのを見つけて駆け寄っていった。
そこのブランコは、使用頻度が高いせいか手入れされてないせいか、足元の土がかなりえぐれている。
そのせいで小さなサトイモが乗ろうとすると少しお尻が届かない。
鎖を持ってよじ登るようにして座る。
座っているだけではスイングしないので、
「押そうか?」
ときいてみたけれど、返事はない。
しばらくすると今度は立ってみたが、やはり立っているだけではスイングしない。
すると、さっきまでずっとブランコで遊んでいた女の子がやってきて、
「そんなんじゃダメ。私がお手本見せてあげようか?」
と言ってきた。
「あらそう? ブランコの上手な乗り方、教えてくれる?」
私はつい気軽にそう答えた。
「あ、あっちで2つ空いたから並んで遊べば?」
しかし、サトイモは動かなかった。
「行かないの?」
返事はない。
女の子は空いているブランコに乗って、
「こうするんだよ!見てて!私くらい上手になるとね、こうやってこげるの!」
と自慢気にやっている。
その段階で、その子は親切そうに言ってきたけれど一緒に遊ぶ気はなくて、単にマウントを取りたいだけなんだと感じてくる。
「ね、わかった?私みたいに上手にのるの」
正直、ウザい。
その子がブランコを降りて私たちのそばにくると、またすぐブランコはいっぱいになった。
「ねぇ、私もブランコのりたいから替わって!」
その子は私たちに言った。
私はちょっとムカっときて、
「それは順番おかしくない? この子はさっき乗り始めたばかりなのに。それだったら、先に乗ってるこの子とかに言うべきでしょ?」
反論されて女の子は少し困った顔をした。
長く乗っていることを指摘された男の子が、黙ってブランコを降りて走っていった。
「ごめんね、ありがとう!」
私はとばっちりを受けたその寡黙な背中に声をかける。
女の子は空いたブランコに乗って、またしつこく、
「こうやってこぐの。あんたはまだヘタだから座ってこぎな。立つのはダメ。私くらい上手になったら立ってもいいけど。こうやってね」
と言っている。
サトイモは何も言わずにブランコに立っている。
「立つのはダメって言ってるでしょ!ダメだったら!私くらい上手になったら立ってこいでもいいの!見て!こうやってやるの!でもあんたはダメ!」
何様だおまえは。
よほど、
「黙れクソガキ!親の私が許可しとんじゃボケ!ダメはおまえじゃ!」
と播州弁でどやしつけてやろうかと思ったけれど、子供相手に大人気ないのでやめた。
サトイモは、顔には出さないが辟易したのか、
「ママ、いっしょにのろう」
と言うので、私のひざに乗せて二人乗りをした。
隣のうるさいコは無視だ。
女の子も無視されたことに気付いたのか、
「どこにすんでるの?」
と聞いてきた。
私はむかついてるので、
「おうちを軽々しくヒトに教えないほうがいいよ」
とサトイモにも女の子にもつかないかんじで言った。
「なんて名前?」
サトイモは無視である。
「あんたしゃべれないの?」
つくづくムカつくガキである。
「言いたくなかったら、知らない子に名前とか言わなくてもいいのよ」
「私はユウキ」
「ああそう」
ふと、気になって、
「ユウキちゃんはいくつ?」
と尋ねてみた。
「5歳!」
「えっ、5歳? まだ年長さんだったの。小学生かと思った」
あんまりエラそうだから。
でも、痩せっぽちでチビなので体格は5歳程度である。
「5歳っていっても、もうすぐ6歳になる5歳だけどね。あんたは?」
サトイモは返事をするつもりはなさそうなので私が代わりにしゃべる。
「ボクは4歳。でも、4歳になったばっかりなんだよね〜。ユウキちゃんは何月生まれなの?」
「3月」
「なんや、もうすぐ6歳になるっていうから6月か7月生まれかと思った!なんや、まだまだ先やんか!」
私が揚げ足を取ると、ユウキちゃんは黙った。
にしても、サトイモとはまるまる一年違うだけ。
女の子は口が達者だとは言うけれど、生意気にもほどがある。
男の子はかわいい、と大人の女性たちがいう理由が身に沁みた。
ユウキちゃんと比べて、うちのサトイモの可愛らしいこと!!
サトイモがブランコを降り、時計を見ると5時を回っていた。
「もうこんな時間!ストライダー取っといで!おうちに帰るよ〜!」
私はサトイモに声を掛けた。
「もう帰るの?」
ユウキちゃんが言った。
「帰るよ。もう5時過ぎてるもの」
「じゃあ私も帰る。一緒に帰ろ」
ユウキちゃんは公園の入り口に補助輪付きの自転車を置いていた。
一緒に帰ろうと言っても、公園を出たら家は逆方向だった。
「じゃあね」
「バイバイ」
そのとき、私はユウキちゃんが一人で遊びに来ていたことに初めて気がついた。
外出年齢
タラちゃんは3歳なのに、一人で外出している。
その基準で考えたらおかしくないかもしれない。
気になって、家に帰ってから何歳から子どもの一人での外出を許可するものなのか、ネットで調べてみた。
昔とは環境が違うので(交通、犯罪等)、小学校中学年になるまでは一人で外出させないというのが一般的なようである。
でも、そこは保護者の判断だ。
いろいろ事情はあろう。
ただ、朝『万引き家族』を見たばかりの私には、ユウキちゃんがリンちゃんに少し重なって見えた。
でもって、私のまとめ。
「リンちゃんは大人しい子だったから保護できるが、ユウキちゃんがもし保護が必要なコだったとしても、生意気だから保護困難!」
それが現実。
でももし、ユウキちゃんが保護を必要としていた場合、大人がどれだけ寛容に受け入れられるか。
現実の困難さを想像してモヤモヤした。
下町なぜなに坊や
最近のサトイモは、「なんで?どうして?」が非常に多くなった。
もう、それはそれは面倒くさい。
でも、私自身が大変な知りたがり屋なので、サトイモの興味関心が頼もしくもあり、うれしくも楽しくもある。
先日、散歩していると、サトイモが理容室の前のサインポールについて、
「あれはなに?」
と聞いてきた。
「ここは髪の毛をチョキチョキするお店ですよ〜、っていうサインなんだよ」
「どうしてクルクルまわってるの?」
「わからないけど、クルクルまわったほうが目立つし、今お店をやってますよ〜ってわかりやすいからじゃないかなぁ」
「どうしてああなってるの?」
「『ああなってる』ってどういう意味?」
「まえにみたのは、たててあったのに、どうしてあれはヨコにでてるの?」
確かに、そこのお店のサインポールは道に垂直に立てずに、壁からナナメに突き出ていた。
「縦に置こうが横に置こうがナナメに出そうが、店の人の勝手じゃないの?そうしたかったんじゃない?」
正直、「どーでもいいでしょそんなこと!」と言いたいところを我慢して、もっともらしく言ってみる。
「なんでそうしたいの?」
「わからないけど、歩道のすぐそばだから、立てるスペースがなかったとか狭かったとか、いろいろあるやろ。知らんけど」
結局知らんのかい!と自分でも突っ込みたくなる。
でも、サトイモのなぜなぜは私が「知らん」というまで続くのだった。
花街の名残り
その帰り、ご近所のおばあさんが植木に水やりをしているところに遭遇した。
上品で穏やかな80歳くらいの女性で、これまで、道でダダをこねたり家に帰りたがらなかったりするサトイモをみかけると、よく声をかけてくれた優しい人だ。
この人には何度も助けられた。
「なにしてるのぉ〜?」
当然サトイモは声をかける。
「お花にお水をあげてるのよ」
おばあさんはにこやかに答えてくれる。
「なんでこれ、こうしてるの〜?」
サトイモは空いている植木鉢の上にカバーがしてあることについて尋ねる。
「ニャンコちゃんがおしっこしに来ないように置いてるの」
私は、
「最近は『なんでなんで』がひどいんです」
と訴える。
「あらまあ、もうそういう時期になったんやねぇ」
とおばあさん。
「どうしてこれついてるの?」
サトイモはおばあさんの家の壁についている理容室のサインポールについて尋ねた。
実は私もずっと気になっていた。
それがあるということは、おばあさんの家はかつては理容室だったんだろう。
気になっていたけど聞きそびれていたし、なんか大人の気がねで聞けなかった。
さすが子どもは何の遠慮もない!
「昔はここで髪の毛を切るお商売をしてたからよ〜」
とおばあさんはサトイモに答えたあと、私には大人の言葉で、
「主人と主人のお父さんの代からやってましてね。70年くらい続いた店だったんですけどね。主人が亡くなって閉めたんです」
と教えてくれた。
昔、このあたりは花街で、たくさんの料亭、たくさんの芸妓さんでにぎわっていたと聞く。
今はその面影のない住宅街になってしまった。
私が今のマンションを買ったとき、元住人のおばさんが、このあたりは阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けたと言っていた。
元住人のおばさんの家も全壊し、近くで更地になって建てられたうちのマンションに住むことになったそうだ。
たくさんの家が壊れ壊され、新しい建物が建って、住人は入れ替わっていく。
それでも元理容室のおばあさんのような昔からの住人がいて、私たちのような新住民と少しずつ知り合いになっていくのだ。
なぜなにが役立つとき
「なんでこれはタテになってるの?」
またサトイモがきいた。
「タテ?」
「まえにみたのはこうなったのに、どうしてこれはタテなの?」
そんなこといきなり聞かれてもわからないので、私が、
「さっき道で見たお店はサインポールが壁から斜め横に出てたんです」
と補足すると、
「ああそう。よく気がつくんやねぇ」
とおばあさんは笑った。
「それはね、横に出したほうが遠くからでもよく見えるからよ」
「なるほど!そうなんですか?!」
私のほうがビックリした。
「下に置いたり壁に縦につけるスペースがないからかと思ってました」
「そういうこともあるやろうけどねぇ、歩道に面してるお店なんかやと、斜め横に張り出したほうが見えるからねぇ」
「じゃあどうしてここはこうなの?」
「ここでナナメに出すと、道が狭いから車が通ると当たっちゃうでしょ? 道によってね、付け方があるのよ」
なるほどなるほど。
私のほうがよほど感心してしまった。
聞いてみるもんだ。
「どうしてこれはまわらないの?」
「今はお店をやってないから止めてるの。でも電気を入れればまだ動きますよ。あ、ちょっと待ってて。電気を入れてあげようか」
おばあさんはおうちの中に入っていった。
「えーっ、わざわざいいんですか?!」
と私が言う間に、サインポールにライトがつき、クルクルと回り始めた。
「ほんとだ!まわったね!」
「見せてもらってよかったねぇ!」
私とサトイモが喜び、
「もういい?」
とおばあさんが出てきて、私たちはお礼を言った。
「もう何年もつけてなかったけど、ちゃんと動いてよかったわ」
とおばさんが言うと、
「よかったよかった」
とサトイモが言う。
何様か。
そのあと、家に帰ってから夫にその話をした。
「ほんまにこの辺りは下町情緒が残っとうなぁ。いろんな人に手伝ってもらって子育てしとうなぁ」
夫が感心していた。
夫はご近所さんをほとんど知らない。
男性は地域社会と縁が薄く、リタイア後居場所がないのもうなづける。
子ども連れで歩き回るからこそ、私も知り合いが増えていくわけで、大人ひとりなら近所の人とも交流はなかっただろう。
そういう意味でもサトイモに感謝する。
ウィル・スミス忠臣蔵
夫が帰国して以来、温泉に行きたい行きたいと言うので、先日、家族3人で赤穂温泉に行ってきた。
夫は温泉であればいいと言うし、私はおでかけの前後で久々に父の様子を見に行きたいと思っているし、サトイモはどこか遊びに連れてってやりたいし、全員の希望が一致する場所として赤穂に白羽の矢が立った。
かねてから、露天風呂と背景の海がつながって見える「インフィニティ温泉」が気になっていて、行ってみたい温泉の1つだった。
それに、赤穂浪士。
赤穂浪士とは縁もゆかりもなかった
サトイモが生まれて、2年目くらいのお正月。
夫とサトイモと3人で、母方の親戚の家に行った。
そのとき伯母に、
「ご仏壇にいるおばあちゃんの実家って、赤穂浪士の奥田孫太夫なんだよね?」
と話をふった。
夫にそのことを知らせてやろうと思ったのだ。
ところが、伯母は、
「ああ、それなんやけどね…」
と苦笑いした。
「ご先祖の奥田孫太夫さんは、赤穂浪士の奥田孫太夫さんと同姓同名の別人らしいよ」
えっ、ええーっ!
私が子どもの頃、祖母の家に郷土史家が奥田家の家系図を調べにやってきて、奥田家は赤穂浪士の奥田孫太夫の末裔だと言うので、親戚中が大盛り上がりした。
その後、私はずっとそれを信じていたのだ。
でも、言われてみれば疑問がいっぱいあった。
奥田孫太夫の息子の奥田貞右衛門も赤穂浪士の一人なのに、貞右衛門は先祖だとは言わないし、その貞右衛門も切腹していて、そのあと奥田家はなくなっている様子。
じゃあおばあちゃんの実家は何なんだ?と不思議だった。
同姓同名の別人だったと言われると、いろいろ納得がいった。
だけど、ちょっとがっかり…。
↑
ご先祖と同姓同名の奥田孫太夫。
忠臣蔵ってどんな話?
私はがっかりしたけれど、夫には何のこっちゃな話だった。
そもそも、歴史に何も興味もなく歴史の知識が皆無な夫は、忠臣蔵のストーリーすら知らない有様だった。
今回、赤穂で大石神社を参拝したり、赤穂城跡を観光しながら、改めて夫に忠臣蔵のあらすじを説明した。
吉良上野介に侮辱されて、江戸城の殿中であるのに我慢できず斬り付けた赤穂城主浅野内匠頭長矩。
忠臣蔵の冒頭であるそのくだりを説明していて、今年話題になったニュースがよぎった。
「例えるなら…、クリス・ロックに奥さんをネタにされて、アカデミー賞授賞式という晴れの場所で殴りつけたウィル・スミスみたいなもんだよ」
ウィル・スミスはアカデミー賞10年出入り禁止。
そして世論は賛否両論。
加害者がペナルティを負ったことに対して同情が集まった点に両者が重なる。
「赤穂の殿様ウィル・スミスの臣下たち、例えば息子のジェイデン・スミスとかがね、無念を晴らすためにクリス・ロック上野介に復讐する…。それが忠臣蔵です」
歴史に疎い夫も、最近の時事ネタに重ねると理解しやすかったらしくて、すんなりと受け入れてくれた。
実際はジェイデンが復讐なんてしないけどね。
ウィル・スミス事件が起きたあと、賛否いろいろあることも含め、いろんな人がいろんなコメントをしていたのが面白かった。
オーケンは賛否よりもウィル・スミスの平手を打つフォームの美しさを語ったし、町山智浩はネタにされた『G.I.ジェーン』の映画について擁護したし、ビデオニュース・ドットコムの神保哲生は、もしどちらかが白人だったらまた違った問題に発展していたかもしれない、と別の視差を提示していた。
どうしたって暴力をふるったウィル・スミスが悪い、と私は思うけれども、いろんな意見があることが面白い。
きっと、ウィル・スミス事件同様、忠臣蔵の刃傷松の廊下事件も、江戸の世の中でいろんな人がいろんな見方でもって論じた事件だっただろう。
だからこそ、今まで語り継がれる人気のお話なのだ。
私は浅野内匠頭長矩が悪いと思うけどね。
入場無料の遊園地
サトイモにとっての旅行のハイライトは、赤穂浪士、なわけがなく、赤穂海浜公園という遊園地つきの公園だった。
遊園地がある総合公園で、とにかく広い。
塩づくりについて学べる展示もある。
しかも入場無料。
昔は観覧車や動物ふれあいコーナーがあったらしいけれど、今はすっかりなくなっていた。
乗り物も古びている。
それでも、幼児が遊ぶにはぴったりだった。
一番最初に乗ったのは、空気が入っていて中がトランポリンみたいになっているアトラクション。
私も子どもの頃、この種のアトラクションが大好きだった。
もしも子どもに戻る(なれる)魔法があるなら、私は子どもになってこの中で思う存分ピョンピョン跳び跳ねてみたい。
この手のアトラクションが今もあることがうれしい。
40年も昔と今で、子どもの世界があまり変わりないことに驚くような安心するような。
そのあとは、家族で変形自転車やスワンボートに乗ったり、船型大型遊具のアスレチックで遊んだりと、一日満喫した。
これで入場無料!
赤穂すごい。
まだまだコロナ禍だけど、なんだか少しずつレジャーが戻ってきた感じ。
このまま少しずつ日常に戻れ。