3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

息ができない

季節がわりでまた風邪を引いた。

市販の風邪薬を飲んで土俵際で踏ん張っているが、のどの痛みと鼻水・鼻づまりがなかなか治らない。

 

鼻づまりのせいで口が渇いて、さっき夜中に目が覚めた。

また眠ろうとしたけれど、カラカラの舌が気持ち悪いし息苦しくて、寝付けない。

 

渇いた口は、母のことを思い起こさせた。

夜中に目覚めるといつも母のことを考えてしまう。

 

母の口はいつも渇いていた。

老人は唾液が出にくくなっているし、鼻からチューブが入っているから口はいつも開いている。

痰がからむからときどき吸引してもらうけれど、それまでは自分でどうもできないから、のどの違和感を我慢しないといけない。

 

母はそんな状態が3年半も続いている。

しかも声が出せないし身体も動かないから、苦しくて怖くても訴えることもできない。

 

私はちょっと風邪を引いただけで、こんなにつらいのに。

もっと深刻な病気の人はどんなに苦しいだろう。

 

痛みや苦しさが、いつ終わるともわからないというのは恐ろしい。

風邪の鼻づまり程度ですら、

「この鼻づまりは一生続きます。楽に呼吸できることは死ぬまでありません」

と言われたら、それだけで息ができなくなりそうな気がする。

 

考え始めると、どんどん息苦しくなって、怖くて怖くて、さらに息ができなくなる。

 

こういうとき、つい考えてしまう。

母が今生かされていることは正しいのか。

決して回復することはないのに、チューブで無理やり栄養を送り込まれて生かされることは本当に正しいことなのか?

 

以前のように月1回でも会えていたら、まだ意味があると言えた。

けれど、今、コロナで会えなくて、会いに行っても離れて見るだけ。

これでは、母の「暮らし」に一体何の喜びがあるだろう?

 

尊厳死について考える。

母を助けてあげたい。

苦しみから解放してあげる方法はないのだろうか。

頭がボケて、痛みや苦しみや恐怖すら感じられなくなっているならまだマシかもしれない。

 

先日遊びに来てくれた友達が、

「コロナの何が怖いって、最後は呼吸困難になるところ。息ができなくて苦しいっていうのが一番嫌だ。怖い…」

と言っていた。

結局、肺炎による呼吸不全だ。

コロナウイルスであろうとなかろうと、高齢者の死因の多くに肺炎が挙げられ、母が亡くなるとしたら死因は肺炎ではないかと思われる。

母はこれだけつらい病床生活の挙句、さらに苦しいをしないといけないの…?

 

息ができないと思うだけで、怖くてさらに息ができなくなって、私はベッドにいられなくなった。

 

起きてきてテレビでも見ようと思い、HDの録画リストから見るものを探した。

たまりっぱなしの番組の中から、『鬼滅の刃』のTVシリーズの夢限列車を見た。

呼吸法で身体が活性化するのは信憑性があるような気がするから、鬼滅の「呼吸」というのはうまく考えたものだと思う。

 

母は夢を見ているだろうか。

身体が動かない母に唯一残された娯楽。

眠っている間、せめて楽しい夢を見れているなら、母が生きている意味もある。

鬼に頼むのは怖いから、やっぱり神様に頼む。

私のお母さんに幸せな夢を見させてやってください。

そして苦しまないように助けてやってください。

 

私は今も息苦しい。

でも、こうやって書いて、自分の不安や恐怖をネットに垂れ流して、おずおずと息をする。