3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

2021年回顧

2021年を振り返る。

 

1〜3月

お正月からしばらくはヘルパーによる窃盗事件にかかりきりだった。

犯人逮捕まではブログに書いたけれど、そこから向こうの弁護士との示談があり、裁判の傍聴にも行った。

判決が出るまでちゃんと記録に残したかったのに、まだ途中までしか書けていないのが今年一番の心残り。

 

本来なら1月から3月までは、サトイモの入園準備期間だった。

事件のことで頭がいっぱいで、子どもの教育のことは後回しになったことも悔やまれるところ。

 

4〜6月

ろくに準備ができなかったせいで、4月から慌てふためくことになった。

サトイモの幼稚園入園と私の復職で4月から生活がガラリと変わったけれど、すべてが後手に次ぐ後手。

 

復職後の仕事は、初めて担当する給与関係。

慣れなくていっぱいいっぱいだったけど、10時5時で仕事が終わるというラクさに助けられた。

2時間の時短勤務のありがたみを感じる。(そのかわり給料は大幅に減る!!2時間欠勤扱いだからね。)

 

一方、サトイモは幼稚園に慣れるまで時間がかかった。

当初は預け先が定まらずに転々とした。

どこもなじめない。

問題行動が多くて、私も毎日泣いていた時期もあった。

 

脱走したりイスに座れなかったり列に並べなかったり、という問題行動に、

「もしかしてADHDでは?」

と発達支援教室に通い始めたのが5月。

 

そこから、サトイモの状況が好転し始めた気がする。

教室にも合っているし、送迎をしてくれるファミリーサポートさんとの出会いも良かった。

 

7〜9月

淡路島の沼島に行ったり、大分県のおばさんに会いに行ったり、チョロチョロでかけた時期だった。

 

沼島の民宿では家族でオリンピック開会式を見た。

小山田圭吾小林賢太郎が叩かれて、気分がモヤモヤする毎日。

読もうと思っていたロマン優光『90年代サブカルの呪い』を読み始めるよい機会になった。

 

大分では災害級の豪雨に見舞われて、文字通り行って泊まって帰ってくるだけだった。

古民家旅館は雨漏りがしたし、せっかくの露天風呂も雨の中。

 

9月にはサトイモの運動会があった。

みんなと並んでダンスや体操ができた。

運動会を経て、サトイモがグンと成長した。

発達支援教室の先生も、「ADHDではないと思う」という見立てをしてくれるようになった。

 

10〜12月

左手の人差し指をトイレットペーパーホルダーで切って、縫う手前のケガをした。

そんな不運ってある?

 

健康診断で便潜血にひっかかり、大腸内視鏡検査を受けた。

内視鏡検査は苦しいと聞いていたけど、腸の曲がり角にカメラが入るときの激痛に絶叫した。

結果、どこも悪いところはなくて、「便が固くてお尻が切れたりしたんでしょう」ということになった。

あの苦しみは何のために…?!と検査というものの不条理を感じる。

 

実は今も、私は熱を出して病院の待合室でこれを書いている。

幼稚園に入ってからサトイモはしょっちゅう風邪を引いていて、サトイモが風邪を引くと、私も必ずうつる。

こんなに風邪を引きまくった年ってあっただろうか。


今年細木数子が亡くなったが(私は好きじゃなかったけど)、2021年はまさに大殺界じゃないかと思える年だった。

 

今年が最低なら、来年はもう少し良い年になるに違いない。