人間になってきた
サトイモは3月下旬生まれなので、同学年の子と半年以上差があることも珍しくない。
幼児ではその差はすごく大きくて、学習面ではこれからハンデになっていくだろうけど、これまでの「子育て」面では、児童館や幼稚園のママ友から「先輩」アドバイスをたくさんいただけるので助かってきた。
今年の春先、幼稚園で出会ったお友だちのママに、私はこうもらした。
「そうちゃんはしっかりしててうらやましい。うちなんて言葉が遅いからまともなコミュニケーションも取れなくて、まだ動物だもの」
すると、
「サトイモくんまだ3歳になったとこでしょ? うちの子だって人間らしくなってきたのは3歳半を過ぎた頃じゃないかなぁ。それまではうちも動物でしたよ」
と励ましてもらった。
そうか、3歳半までは動物なのか。
そうちゃんママの言葉は謙遜もあるだろう。
けど、ママの実感として3歳半くらいから何かが楽になった実感があるのだろう。
3歳半までのガマン。
祝!脱・動物
そう思って過ごしていたが、ここのところサトイモの進歩は目覚ましい。
3歳半を待たなくても、3歳3か月にして人間になったな、という手応えがある。
一番大きいのは、やっとオムツが外れたこと。
トイレトレーニングは長かった。
布パンツをはかせればオムツは早く外れる、と聞いていたのに、うちの子には全く効果なし。
理論的には、濡れる感覚が嫌だから漏らさなくなる、ということなのだけれど、サトイモはボトボトになっても平気のヘイザだった。
布パンツをはかせるようになって、何よりもストレスだったのは、布パンツでユルうんち(お姑さんの言葉を借りればビチグソ)をもらされるのが本当にキツかった。
パンツにべっとり、ズボンにも滲出、シャツにまで浸透…。
それが今では、ちゃんとトイレでうんちができる。
それだけで、ぐ〜んと精神的にラクになった。
次に大きいのは、会話の発達である。
会話らしい会話ができるようになった。
まだまだ言葉は拙いけれど、言葉によるコミュニケーションが取れるようになってきたのは本当に大きい。
不正受給かしら?!
幼稚園に慣れてきたからか、生活のリズムが整ってきたからか、発達支援教室の成果が出ているからか、問題行動が出たり、私が泣きたくなるほど手こずったりすることもなくなった。
発達支援教室では、同じ時間に受講するお友だちがいればグループセラピーになるけれど、半分以上は個別指導。
体操や知育玩具によるコミュニケーション指導だけじゃなくて、運筆練習や知育プリント、ひらがな練習もやってくれる。
それだけのプログラムを、市から発行してもらった受給者証があるので無料で受けられる。
正直、
「これを無料で利用できるなんてすみません」
と申し訳なくなるほどだ。
最近のサトイモは問題行動もなく、ADHDかも、と心配していた傾向も薄まってきたので、なんかちょっとズルしてるような後ろめたさを感じてしまう。
ただ、そういうときは、
「これまでどれだけ税金払ってきたと思ってんだ!こういうときに使わせてもらうために高い税金払ってきたんだぞ!オリンピック費用のこと考えたら安いでしょ!」
と逆ギレ気味に思うようにしている。(誰からも批判されてないけど。)
夫や私が払ってきた税金を返してもらってるだけ。文句あるか。
昭和歌謡フリーク児童
サトイモに人間らしさを感じるときの1つに、一緒に歌を歌えるようになったということがある。
これまでもサビだけなら歌っていたけれど、フルコーラスをちゃんと歌えるようになったのは最近である。
ただ、サトイモの気の毒なところは、親が年寄りなので、昭和歌謡に親しみすぎるところだ。
最近サトイモがよく歌っているのが、
- 昔のみんなのうたの『コンピューターおばあちゃん』
- じゃりン子チエのオープニング曲『バケツのおひさんつかまえた』
- ピンク・レディーの『透明人間』
の3つである。
拙い口で、
♪エテコがマネしてあかっぱじ〜
と歌っているのを聞くとすごくほのぼのする。
この間、サトイモがブロック遊びをしながら、
♪モテめーじっ、モテめ〜じ〜、モテめーじっ、モテめ〜じ〜
と歌っていた。
どこかで聞いたような…。
でも何の曲かわからない。
そもそも「モテめ〜じ」の意味するところがわからない。
「それ何の曲?」
と聞いても、
「ママがかけてたよ〜」
というばかりである。
何度も何度も、「モテめ〜じ」という謎の呪文を繰り返し、やっと、
「ああっ!モンキーマジック!!」
と思いついたときは爽快だった。
モテめ〜じか。
そりゃミッキー吉野もびっくりだ。
感謝しろ症候群
そんなサトイモは、最近私のお世話をよくしてくれる。
先日、お風呂で背中を流してくれた。
「ママ、おててここまでしかとどかないから、サトくんがあらってくれてうれしい?」
「うれしいよ」
「サトくんはとどくからアワアワしてあげるね〜。へっちゃらさ〜」
何がへっちゃらなのか知らないが、なんか可愛らしいではないか。
そして、そのあと、
「ママ!すごくたすかったって言って!ありがとうって言って!」
と感謝を強制した。
「たすかったよ。ありがとうね」
まあ、そう言った。
感謝感謝。
けれど、これが事あるごとに続くから、そこそこウンザリする。
別にしてほしくないことでも、
「ママ、○○したよ。ありがとうって言って!」
と言われるのだ。
サトイモにしてみれば、これまでお世話されるばかりだったのが、自分が逆にしてあげられるようになった。その自信がそう言わせてるんだろう。
けれど、朝、干したばかりの洗濯物を勝手に取り入れてきて、
「せんたくものもってきたよ!ありがとうっていって!」
と言われたときはさすがに、
「何がありがとうじゃ!余計なことしくさって!」
と怒ってしまった。
我ながら大人気ないけど、忙しいときにやられるとイライラくる。
日々は時間のやりくりとの闘いなのだ。
時間のやりくりといえば、私がサトイモを寝かしつけるときに、夫が悠然とテレビを見ているのに腹を立て、
「テレビ見る暇があるんだったら食器洗っといて」
と訴えたことがあった。
夕食後、お風呂に歯磨きを終え、サトイモを寝かしつけながら10時くらいに寝てしまう生活。
食器洗いは翌朝早く起きてやるのが日課になっていた。
「ええよ、オレやるわ。してほしいことがあったら、なんぼでも言うて。」
と、その日以降、夕食後の食器洗いは夫がしてくれるようになった。
言ってみるもんだ。
言わなくても気付いてくれ、というのは思い上がりというもんだ。
けれど、洗ってくれた翌朝は必ず、
「食器洗いしといたよ。助かった?」
と夫は必ず聞いてくる。
「すごく助かったよ。ありがとう」
もちろん、私はそう答える。
自分の分の食器も含まれてるんだからやって当然でしょ、という余計なことは言わない。
ありがとうありがとう。