3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

人間になってきた

サトイモは3月下旬生まれなので、同学年の子と半年以上差があることも珍しくない。

幼児ではその差はすごく大きくて、学習面ではこれからハンデになっていくだろうけど、これまでの「子育て」面では、児童館や幼稚園のママ友から「先輩」アドバイスをたくさんいただけるので助かってきた。

 

今年の春先、幼稚園で出会ったお友だちのママに、私はこうもらした。

「そうちゃんはしっかりしててうらやましい。うちなんて言葉が遅いからまともなコミュニケーションも取れなくて、まだ動物だもの」

すると、

サトイモくんまだ3歳になったとこでしょ? うちの子だって人間らしくなってきたのは3歳半を過ぎた頃じゃないかなぁ。それまではうちも動物でしたよ」

と励ましてもらった。

 

そうか、3歳半までは動物なのか。

そうちゃんママの言葉は謙遜もあるだろう。

けど、ママの実感として3歳半くらいから何かが楽になった実感があるのだろう。

3歳半までのガマン。

 

祝!脱・動物

そう思って過ごしていたが、ここのところサトイモの進歩は目覚ましい。

3歳半を待たなくても、3歳3か月にして人間になったな、という手応えがある。

 

一番大きいのは、やっとオムツが外れたこと。

トイレトレーニングは長かった。

布パンツをはかせればオムツは早く外れる、と聞いていたのに、うちの子には全く効果なし。

理論的には、濡れる感覚が嫌だから漏らさなくなる、ということなのだけれど、サトイモはボトボトになっても平気のヘイザだった。

布パンツをはかせるようになって、何よりもストレスだったのは、布パンツでユルうんち(お姑さんの言葉を借りればビチグソ)をもらされるのが本当にキツかった。

パンツにべっとり、ズボンにも滲出、シャツにまで浸透…。

それが今では、ちゃんとトイレでうんちができる。

それだけで、ぐ〜んと精神的にラクになった。

 

次に大きいのは、会話の発達である。

会話らしい会話ができるようになった。

まだまだ言葉は拙いけれど、言葉によるコミュニケーションが取れるようになってきたのは本当に大きい。

 

不正受給かしら?!

幼稚園に慣れてきたからか、生活のリズムが整ってきたからか、発達支援教室の成果が出ているからか、問題行動が出たり、私が泣きたくなるほど手こずったりすることもなくなった。

 

発達支援教室では、同じ時間に受講するお友だちがいればグループセラピーになるけれど、半分以上は個別指導。

体操や知育玩具によるコミュニケーション指導だけじゃなくて、運筆練習や知育プリント、ひらがな練習もやってくれる。

 

それだけのプログラムを、市から発行してもらった受給者証があるので無料で受けられる。

正直、

「これを無料で利用できるなんてすみません」

と申し訳なくなるほどだ。

最近のサトイモは問題行動もなく、ADHDかも、と心配していた傾向も薄まってきたので、なんかちょっとズルしてるような後ろめたさを感じてしまう。

ただ、そういうときは、

「これまでどれだけ税金払ってきたと思ってんだ!こういうときに使わせてもらうために高い税金払ってきたんだぞ!オリンピック費用のこと考えたら安いでしょ!」

と逆ギレ気味に思うようにしている。(誰からも批判されてないけど。)

夫や私が払ってきた税金を返してもらってるだけ。文句あるか。

 

昭和歌謡フリーク児童

サトイモに人間らしさを感じるときの1つに、一緒に歌を歌えるようになったということがある。

これまでもサビだけなら歌っていたけれど、フルコーラスをちゃんと歌えるようになったのは最近である。

 

ただ、サトイモの気の毒なところは、親が年寄りなので、昭和歌謡に親しみすぎるところだ。

最近サトイモがよく歌っているのが、

の3つである。

 

拙い口で、

♪エテコがマネしてあかっぱじ〜

と歌っているのを聞くとすごくほのぼのする。

 

この間、サトイモがブロック遊びをしながら、

♪モテめーじっ、モテめ〜じ〜、モテめーじっ、モテめ〜じ〜

と歌っていた。

どこかで聞いたような…。

でも何の曲かわからない。

そもそも「モテめ〜じ」の意味するところがわからない。

 

「それ何の曲?」

と聞いても、

「ママがかけてたよ〜」

というばかりである。

何度も何度も、「モテめ〜じ」という謎の呪文を繰り返し、やっと、

「ああっ!モンキーマジック!!」

と思いついたときは爽快だった。

モテめ〜じか。

そりゃミッキー吉野もびっくりだ。

 

感謝しろ症候群

そんなサトイモは、最近私のお世話をよくしてくれる。

先日、お風呂で背中を流してくれた。

「ママ、おててここまでしかとどかないから、サトくんがあらってくれてうれしい?」

「うれしいよ」

「サトくんはとどくからアワアワしてあげるね〜。へっちゃらさ〜」

何がへっちゃらなのか知らないが、なんか可愛らしいではないか。

 

そして、そのあと、

「ママ!すごくたすかったって言って!ありがとうって言って!」

と感謝を強制した。

「たすかったよ。ありがとうね」

まあ、そう言った。

感謝感謝。

 

けれど、これが事あるごとに続くから、そこそこウンザリする。

 

別にしてほしくないことでも、

「ママ、○○したよ。ありがとうって言って!」

と言われるのだ。

サトイモにしてみれば、これまでお世話されるばかりだったのが、自分が逆にしてあげられるようになった。その自信がそう言わせてるんだろう。

 

けれど、朝、干したばかりの洗濯物を勝手に取り入れてきて、

「せんたくものもってきたよ!ありがとうっていって!」

と言われたときはさすがに、

「何がありがとうじゃ!余計なことしくさって!」

と怒ってしまった。

我ながら大人気ないけど、忙しいときにやられるとイライラくる。

日々は時間のやりくりとの闘いなのだ。

 

時間のやりくりといえば、私がサトイモを寝かしつけるときに、夫が悠然とテレビを見ているのに腹を立て、

「テレビ見る暇があるんだったら食器洗っといて」

と訴えたことがあった。

 

夕食後、お風呂に歯磨きを終え、サトイモを寝かしつけながら10時くらいに寝てしまう生活。

食器洗いは翌朝早く起きてやるのが日課になっていた。

「ええよ、オレやるわ。してほしいことがあったら、なんぼでも言うて。」

と、その日以降、夕食後の食器洗いは夫がしてくれるようになった。

言ってみるもんだ。

言わなくても気付いてくれ、というのは思い上がりというもんだ。

 

けれど、洗ってくれた翌朝は必ず、

「食器洗いしといたよ。助かった?」

と夫は必ず聞いてくる。

「すごく助かったよ。ありがとう」

もちろん、私はそう答える。

自分の分の食器も含まれてるんだからやって当然でしょ、という余計なことは言わない。

 

ありがとうありがとう。

 

井上陽水奥田民生の曲でもサトイモに聴かせようか。