あけましておめでとうございます。
今年は良い年になりますように!と祈る元旦。
大晦日から元旦にかけて、お姑さんのおうちにご厄介になり、食事もお風呂も何もかも提供してもらってのんびり過ごす。
「何もせっとって。置いといて!」
と言われるので、言葉に甘えて何も手伝わない怠け者の嫁。
最近、お母さんがいて自分は何もせずにグウタラする、という状況にものすごくノスタルジーを感じる。
自分がお母さんになってしまっては、そんな甘い状況は郷愁の中にしかない。
元旦の夜からは私の実家へ行き、あらかじめ購入したおせち。
今年は、駅そばで有名な地元まねき食品のおせち料理を注文していたが、これまで食べてきたほかのおせち料理と比べてイマイチで、お重の箱はズレているし、お品書きとか言祝ぎの栞みたいなのもなく、最初からつまずいてしまった気分。
年末、父に電話をしたところ、
「お金がない」
と言っていたので、行く前にコンビニATMで現金を下ろして渡す準備をしていった。
去年ああいう事件があったあと、父の通帳はすべて私が取り上げ、必要な分だけ現金を渡すようにしている。
そんなだから、今年はお年玉はないだろうと思っていたら、今年も全員にお年玉が配られた。
しかも、ちゃんとキレイな花柄のお年玉専用ポチ袋に入っていた。
のちほど夫が、
「今年はちゃんと10枚入っとったわ。確認してみ」
というので見てみたら、やはり10枚入っていた。
「お金がないから持ってきてくれ、言われたから、わざわざコンビニで下ろしてきたのに、何しようこっちゃわからへんわ」
と私が呆れると、
「このためにお金がなくなったんやろ」
と正当なことを言う。
「それより、サトイモのお年玉見てみ」
開けてみると、万札1枚、千円札1枚、500円玉、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉がそれぞれ1枚ずつ入っていた。
「そういえばお父さん、『子どもは硬貨のほうがお年‘玉’いうかんじがしてうれしいやろう』言うてたわ」
「それはええねん。去年も硬貨が1枚ずつ入っとったんやけど、お札は何枚やった?」
「千円」
「今年は?」
「1万千円」
「おととしは?」
「1万円」
「ということは」
そこまで言われて私も気がついた。
「去年、サトイモのお年玉からも1万円抜かれとったんや!!!」
去年、そこまで気がつかんかった!
父に確認したところ、やはり去年もサトイモのお年玉に1万円札を入れていたという。
「被害額に1万円追加や!!」
「今から『1万円返してくれ!』言うて犯人の家まで取り立てに行く?」
「裁判まで終わってたらもう無理やろなぁ」
1年経って、ようやくわかる被害がまだあるなんて。
まだまだ苦笑いのお正月。