3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

あけましておめでとうございます。

今年は良い年になりますように!と祈る元旦。

 

晦日から元旦にかけて、お姑さんのおうちにご厄介になり、食事もお風呂も何もかも提供してもらってのんびり過ごす。

「何もせっとって。置いといて!」

と言われるので、言葉に甘えて何も手伝わない怠け者の嫁。

最近、お母さんがいて自分は何もせずにグウタラする、という状況にものすごくノスタルジーを感じる。

自分がお母さんになってしまっては、そんな甘い状況は郷愁の中にしかない。

 

元旦の夜からは私の実家へ行き、あらかじめ購入したおせち。

今年は、駅そばで有名な地元まねき食品のおせち料理を注文していたが、これまで食べてきたほかのおせち料理と比べてイマイチで、お重の箱はズレているし、お品書きとか言祝ぎの栞みたいなのもなく、最初からつまずいてしまった気分。

 

年末、父に電話をしたところ、

「お金がない」

と言っていたので、行く前にコンビニATMで現金を下ろして渡す準備をしていった。

去年ああいう事件があったあと、父の通帳はすべて私が取り上げ、必要な分だけ現金を渡すようにしている。

 

そんなだから、今年はお年玉はないだろうと思っていたら、今年も全員にお年玉が配られた。

しかも、ちゃんとキレイな花柄のお年玉専用ポチ袋に入っていた。

 

のちほど夫が、

「今年はちゃんと10枚入っとったわ。確認してみ」

というので見てみたら、やはり10枚入っていた。

「お金がないから持ってきてくれ、言われたから、わざわざコンビニで下ろしてきたのに、何しようこっちゃわからへんわ」

と私が呆れると、

「このためにお金がなくなったんやろ」

と正当なことを言う。

「それより、サトイモのお年玉見てみ」

開けてみると、万札1枚、千円札1枚、500円玉、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉がそれぞれ1枚ずつ入っていた。

 

「そういえばお父さん、『子どもは硬貨のほうがお年‘玉’いうかんじがしてうれしいやろう』言うてたわ」

「それはええねん。去年も硬貨が1枚ずつ入っとったんやけど、お札は何枚やった?」

「千円」

「今年は?」

「1万千円」

「おととしは?」

「1万円」

「ということは」

そこまで言われて私も気がついた。

 

「去年、サトイモのお年玉からも1万円抜かれとったんや!!!」

 

去年、そこまで気がつかんかった!

 

父に確認したところ、やはり去年もサトイモのお年玉に1万円札を入れていたという。

「被害額に1万円追加や!!」

「今から『1万円返してくれ!』言うて犯人の家まで取り立てに行く?」

「裁判まで終わってたらもう無理やろなぁ」

 

1年経って、ようやくわかる被害がまだあるなんて。

まだまだ苦笑いのお正月。