3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

ヘルパー利用はやめられない

サトイモの朝の「イヤダイヤダ」「ダッコして!」も日に日にマシになってきた。

泣いている時間も日ごとに少なくなり、今朝は初めて、ゴネたり泣いたりせずに幼稚園へ行ってくれた。

恒例になっていた園長先生による「抱っこ引きはがし」も必要なく、手をつないだ状態で園内に入れた。

日進月歩で幼稚園に慣れてくれている。

 

4月2日の夜中にサトイモが泣き叫んで大変だったことは書いた。

4月1日からいきなりキッズスクールに預けられ、ママと離れて過ごすことになったストレスといえばそれまでなんだけれど、私にはそれに加えて思い当たるフシがあった。

 

2日の夕方はバタバタだった。

まず、検事に盗難事件の裁判結果について問い合わせをしていたのが、折り返しの電話がかかってきた。

そのあと、父が利用しているヘルパー事業所の所長からも電話が。

2本の電話は関連する内容なのだけれど、全くの偶然、同じ日になってしまった。

検事とは数分、ヘルパー事業所の所長とは30分近く話し込むはめに。

 

その間サトイモは、

「ママでんわしないでぇ〜!サトくんとあしょんで〜!でんわしたらダメだよぉ〜!だぁっこしてぇ〜!」

とずっと泣き叫んで邪魔しっぱなしだった。

サトイモにしてみたら、日中淋しい思いを我慢して、やっとママとお家に帰ってホッとしていたのに、またママを電話にとられてしまった。

それが気に入らなくてしょうがないのだ。

挙げ句、ママに「静かにして!」と怒られ、「うるさい!」と逃げられ、散々である。

そんなこともあったから、余計にストレスだったのかなぁ、と私は思っている。

 

その電話の内容は、書いている途中だった窃盗事件の「ヘルパー事業所が謝罪に来た話」とちょうどリンクするので、さかのぼって日記を書こうと思う。

(つまり、下記の日記の続きです。)

Xデーがやってきた! - 3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

 

謝罪は羊羹とともに

1月19日、盗みを行ったヘルパーが所属するヘルパー事業所が謝罪に来るというので、私はサトイモをお姑さんに預け、実家へ向かった。

事業所からは3人やってきた。

所長、事業部長、ヘルパー責任者の増子さん。

増子さんは面識があるヘルパーさんで、ときどき父のヘルパーに来てくれている、いわゆるプレイングマネージャーだ。

所長と事業部長は初対面だが、所長とは前日に電話で話したばかりである。

電話と同様、消え入りそうな声で、

「このたびは、誠に申し訳ございませんでした…」

と謝った。

まあ、そういう態度でそう言うしかないよな、としか感じなかった。

 

増子さんは泣きながら、土下座に近い形で父に謝った。

「こんなことが起きていたなんて、私、全く知らなくて、本当に、本当に、ごめんなさい」

泣きながら父に頭を下げる増子さんに対して、父は肩に手を置いて、

「もうええ。もうええがな」

と慰めた。

お金が戻ってくるまで、決して「もうええ」ことはないんだけど、増子さんは泥棒本人じゃあるまいし、そこまで謝ることではないよ、という気持ちになったのは確かである。

父の態度は、すごく寛容で優しさにあふれてて、いい人感がハンパなかった。

…でも、繰り返すけど、お金が戻るまでは決して許せることではないのだけど。

 

どのタイミングでもらったか、今となっては忘れてしまったが、謝罪として彼らは和菓子屋の菓子折りを持ってきた。

大きな羊羹が3本。

父が一人で食べられるもんじゃないし、神戸まで持って帰るのには重かった。

気が利かねぇなぁ…。

 

3つの目的

この日、私は3つ、話すことを決めていた。

  1. 謝罪をうける。でも、事業所に損害賠償請求の民事訴訟をする可能性があることを伝えて、その場合は代理人の弁護士から連絡すると言うこと。
  2. 犯人の宅間がどんな人なのか、情報を聞き出すこと。
  3. 今後のヘルパー利用について、どうするか相談すること。

 

1番目については、それだけのことなのですぐ終わった。

(結果的に示談金で全額弁済してもらったので、訴訟はしなかったけどね。)

 

2番目。

「宅間さんというのはどんな人なんですか」

と私が尋ねると、所長は、

「それについては増子から」

と話を振った。

 

全体について、この所長は謝罪しかしなかった。

謝るか、増子さんに話を振るかだ。

事業部長にいたっては、あいさつ以外は一言もしゃべらず。

首を揃えただけ。

あんたら結局、何もかも現場に任せきりやから、こんなことになったんちゃうの?

…と怒鳴れたらスッキリしたのかもしれないが、そのときは私もモヤモヤするばかりで何も言えず。

 

この続きはまた今度。