3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

宮沢さんへの手紙 ~やっと刊行された『ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論』

『ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論』の書籍がようやく刊行された。

もともとはNHKのテレビ番組で、『ニッポン戦後サブカルチャー史』の第2弾『DIG深掘り進化論』として2015年に放送されたものだ。

 

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論

サブカルチャー史に深い興味があるので誰が講師であろうと見るし読むのだけど、宮沢章夫さんが講師なのだから私の真剣度は増すばかりである。

もともと私は宮沢章夫さんのファンだったが、ファンになった当時の宮沢さんはエッセイストであり演劇人であって、サブカルチャーを語る人ではなかった。

いつの間にかサブカルチャー論者みたいになってしまって、それがまた私を夢中にさせてしょうがない。

 

テレビ放送の1回目のテーマは「不思議の国の『女子高生』」だった。(本のほうは「ニッポン女子高生史」となっている。)

放送終了後、私の頭がグルグル回りはじめ、そうだ、宮沢さんに感想をメールしよう!と下書きに保存したものの、結局タイミングを逃して送らずじまいになったものがあった。

書籍化されたらそのときに送ればいいや、と思ったけれど、それから1年半も時間が経ってしまった。

何しろ2015年10月だ。

保存していたメールの下書きはこんなだった。

 

*********************

 

宮沢章夫

 

ご無沙汰しております。

関西のワークショップでかつてお世話になった波野なみ松です。

ご活躍はいつも拝見しております。

NHKのニッポン戦後サブカルチャー史は1も2も大変興味深く、いろんなことを考えさせられました。

私は1975年生まれです。ベトナム戦争終結し、寺山修二が市街劇『ノック』を上演し、大瀧詠一が『NAIAGARA MOON』をリリースした年であります。

1995年、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件があった年に20歳になって、テレビでは『新世紀エヴァンゲリオン』が放送され、劇場では『攻殻機動隊』が上映された年でした。

なので、これまでずっと、私はサブカルチャーとともに育ち、歳を重ねてきた人間だと思っています。

前回の放送もそうでしたが第2シリーズのDIGも、良い再確認と再発見の機会になりました。

特に女子高生の回は、最近私が考えていて答えがでなかったことに、ヒントをいただきました。

というのが、最近政府が言っている「一億総活躍社会」「女性の活用」という言葉についてです。

正直、これらの言葉に対しては、

「おまえらの思ってるような活躍なんてしたくねーよ!利用されてたまるか!」

という、腹立たしさしか感じません。

なぜこんなにムカつくのだろう、とずっと考えておりました。

それが、橋本治桃尻娘」の紹介のとき、それについての答えをもらった気がしたのです。

 

あたしは絶対そんな役に立つ物になんかになりたくないんだ。あたしは唯の“実用品”になんかなりたくないんだ。

 

「実用品」というのが、すごくピンときたんです。

社会(もっというと男性社会)が望んでいる実用品にはなりたくない、ということです。

とはいっても、大人になって社会に出ると、否応なく実用品にされてしまうところがあります。

働き手としてもそうでしょうし、「子を産む機械」としてもそうでしょう。

それに対して「女子高生」という存在は、大人&男性社会に対する最も対照的なカウンターなんじゃないかと思いました。

私は自分がアングラサブカル者になってしまった経緯をずっと模索しつづけてきたんですが、自分がなぜ弱者に共感し、権力に対して強いルサンチマンを抱いているのか、自分で自分のことが不思議でした。いじめられたこともないし、大きく挫折したこともないし、何だろうと。

ただ、ここにきてふと思うのは、女性であるだけで、やはり男性社会で「ほのかな」差別を受け続けてきたということです。

男性社会に「負けない」ようにしようとすると、同じベクトルで、同じ土俵で戦うことになるんですけど、それもどうも違う気がするのです。

「実用品」としてどれだけ生産性があって効率的で成果があるか、評価されること自体を拒むかんじ。

それがサブカルチャーじゃないかと

 

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メールの下書きはそのあたりまで書いて、まとまりがつかなくなってやめていた。

 

ふと、ロリータファッションについてよくオーケンが描写していた「不必要にひらひらがついた服」という表現を思い出した。

「不必要に」ということがポイントだ。

赤瀬川原平トマソンにしても、みうらじゅんの「いやげもの」「カスハガ」「とんまつり」にしても、世の中にとって必要ないもの、特に価値がないように思われるものだ。

書籍の「第5章 ヘタうま―アートと初期衝動」で都築響一が、メインの側にいる人たちが自分たちの文脈に沿った表現として捉えられなければ「サブ」として扱ってきた、と論じているが、それも「役に立つ」かどうか、実用的かどうかで判断されているところが大きいような気がする。

 

去年からブログを始めて1年と1月が過ぎた。

「何のために書いているのか」と問われると、とりあえず備忘録と言っているけれど、答えがあってないようなところがある。

でも、役になんて立たなくていい。実用的な文章は誰かにまかせよう。

ときどき、何の生産性もない自分の人生の意味を考えることがあるけれど、それもまた愚問。

そうか、だから「でもやるんだよ!」ってことなんだ。

男性は家族との会話が短い場合に生命予後が短い

ジェロントロジー、日本語にすると老年学という学問があって、その講演会のレジュメを見せてもらう機会があった。

一言でいうと「いい感じに老いるには?」みたいなことの研究で、医療や心理学や社会学やいろんなことが包括されているらしい。

 

その資料の中で、ほお、と思ったのが、ある調査によれば、

「男性は家族との会話が多いほうが、女性は家族以外の人との会話が多いほうが元気で長生きする」

らしい。

 

それを読んだとき、私は、

「男のほうが面倒くせえ!」

と思ってしまった。

 

ご近所やサークルでお友達と交流して元気になるのがお婆さん。

家族にウザがられながらも、家庭で団らんしたいお爺さん。

そんな構図が見えてくる。

 

家族以外の人、外の世界は無限に広がっているが、家族には限りがある。

「寂しいならどっか行って、友達見つけてきなよ!」

という理屈が、お爺さんには通用しにくいわけだ。

 

ああ、面倒くせえ!

 

だけど、そんな統計を見せられては、私も父と会話してあげなきゃいけないかな、と思ってしまった。

 

**********************

 

そんな昨日。

実家に帰って、父のヘルパーさんの日誌ファイルを読んだ。

ヘルパーさんは、毎週火曜日朝8時に、ゴミ捨ての手伝いに来てくれている。

 

父は脳梗塞の後遺症で足をひきずって歩いているので、大きなゴミを持って歩けない。

それがヘルパーさんに来てもらっている表向きの理由だが、本当の理由は、父が朝一人で起きられないことにある。

昔からだが、夜中に寝付かれず、朝方から眠りに入ってしまうので昼前まで寝ているのだ。

典型的な夜型ニート生活である。

ボケてきたら夜中に徘徊しちゃうパターンである。

 

鍵をロック式のキーボックスに入れて、もし父が起きていなかったら鍵を開けて家に入ってください、ということにしているが、

「チャイムを押しても反応がありませんでしたので、鍵を開けて中に入らせていただきました」

と毎週記載されている。

そして父は、ヘルパーさんに起こされるまで眠っている。

 

「起こされんように頑張ろうと思うんやけど、あかんな」

と父は言う。

「目覚まし使ってないの?」

「かけとっても、起きられる日と起きられへん日と半々や」

「半々でも効果があるんやったら使えば?」

「それが、目覚ましかけるんを忘れるんや」

 

そして毎週ヘルパーさんに2階の寝室まで来てもらって、起こされるわけだ。

 

「今週もまたヘルパーさんに起こされてたね」

と私が言うと、

「昨日の夜はナポレオンやったんや」

と父が答えた。

 

意味がわからない。昔からだが、父は日本語がメチャクチャすぎるのだ。

けれど、ジェロントロジーの件があるので、いつもみたいに「はあ? 何言うてんのアホか」と切り捨てない。

「ああそう、昨日はナポレオンやったんやね」

と受け流した。

ナポレオンのテレビかなんかを見ていて夜更かししていた、ってことだろう。

 

今朝も、父は昼前に起きてきた。

「お母さん、もうデイサービス行ったん?」

と尋ねるので、

「何時やと思ってるのよ、とっくに行ったよ」

と答えると、

「お父さんは昨日ナポレオンやったんや」

とまた言う。

「ナポレオンは一昨日でしょ」

と指摘すると、

「一昨日もやけど、昨日もや」

と答えた。

連続ドラマか? いや、昨日のテレビにナポレオンの番組などなかった。

いよいよボケてきたのか?

 

昼食を食べるとき、会話もなかったので、どうでもいいと思いつつも父に尋ねた。

「その、ナポレオンって何なん?」

「何って?」

「いやだから、夜にナポレオンって。ナポレオンの、何?」

「何って何や?」

「映画?ドラマ?ドキュメンタリー?」

「ドキュ…? 何の話や?」

「だから、ナポレオンって何なんよ!」

「ナポレオンは、皇帝になったフランスの軍人やないか!」

「そんなこと聞きたいんちゃうわ!」

 

会話がまるでかみ合わない。

わけのわからないやり取りが続き、最終的にやっと理解できたことには、

「寝付かれなくて3時間程度しか眠っていない」

ということを、父は「ナポレオン」と呼んでいたということが判明した。

 

わかるわけねーだろ!!

 

ジェロントロジーの専門家さん、これでも家族が会話しなきゃダメ?

1杯のカフェオレ

母の飲み物には、必ずトロミをつけている。
普通の液体だと、むせてしまうからだ。
自分の唾液を飲み込むときでさえ、ときどきむせていて、嫌になってしまう。

で、トロミをつけるのに、トロミ剤を使うのだけど、どこのメーカーのがいいか、ドラッグストアに置いてあるものを値段が安い順に買ってきて、使い比べをしている。
これまで使ったのは、「トロメイク」、「とろみアップ」、「とろみファイン」、そしてトップバリューのトロミ調整食品。
メーカーによって機能に差があるな、と、思っていたら、こんな比較サイトがあった。

なんと、私がまだ使ってない「つるりんこ」が1位じゃないか。次買うときは「つるりんこ」にしてみよう。
ちなみに、母の飲み物だけじゃなく、私は中華料理などのあんにもトロミ剤を使っている。
だって水溶き片栗粉を作るのが面倒なんだもん。

トロミ剤に機能差がある、というのは、飲み物に混ぜたときに変色したり、味が変わったりするだけじゃなく、ダマになったり、トロミがつくまでに時間がかかったり、という点だ。
特に、トロミがつくまでの時間というのは、介護する側にとって重要で、お茶なんかだと1分もかからずにすぐトロミがつくのに、ミルクティーだと何分も置いておかないとトロミがつかなかったりする。

昨夜遅く、母がいつまで経っても寝ないので、飲み物でも飲ませようと、インスタントのカフェオレを用意した。
最近よく飲ませている、和光堂の栄養補助食品のカフェオレである。

カフェオレはトロミがつくまでに時間がかかるし、トロミがつくと熱いので、飲める温度まで冷まさないといけない。
作ったあと、しばらくキッチンに置いていた。

もうそろそろ飲み頃にできたかな、と、しばらく経って戻ってみると、カフェオレが半分なくなっている。

お風呂からあがってきた父が、自分のコップで何かを飲んでいたが、私の顔を見て、
「これ何や、ドロドロやな」
と言った。
父は、せっかく作っていた母のカフェオレの半分を自分のコップに移し、勝手に飲んでいたのだった。
その平然とした態度に、怒りが爆発した。

「なんで勝手に飲むんや!!」

「そこにあったから」
「お母さんのやってわかってたでしょ!」
「面倒くさかったんや」
「だからって、人のを勝手に飲んでええんか!!」

たかがカフェオレ1杯で大人げないのはわかっているんだけど、怒鳴らずにはいられなかった。
もし、
「これ飲んでもええか?」
と父が尋ねてくれたなら、
「それはトロミをつけてるから、新しいのを入れてあげるよ」
と快く父の分を用意しただろう。

なのに、なぜ、父はその一言が言えないのか。

父との確執はほとんどが、
「なぜ尋ねないのか?」
という問題に尽きる。

重ねて、母の介護について私がいろいろ工夫をしていることを父が知らないのも腹立たしい。
母がもう普通の食事や普通の飲み物が飲めないということを、いくら言っても理解してくれない。
それでも母に、なんとか美味しく食べたり飲んだりしてほしくて、私が配慮していることも、父はまるでわかっていない。

そういう根っこが広がっている、「1杯のカフェオレ」なのだ。

しかし、父は死んでも理解できないままだ。
「また怒られた」
そう拗ねて、足を引きずりながら2階に上がっていった。

今さらわかってもらおうとは思っていない。
ただ、人の飲み物を勝手に飲むな。

顔の筋肉をほぐそう。

4月の上旬は女子力アップ作戦を実行していた。

9日に神戸でオーケンライブがあったので、「いつなんどき街中でオーケンと遭遇しても大丈夫なように」と気合いが入っていたのだ。

めったに行かないエステにも行った。

エステといっても、リンパマッサージ専門店のフェイシャルコースなのだけど、小顔効果はあったと思っている。

 

そのリンパマッサージ専門店には、これまで何回か行ったことがあった。

側弯症で骨格が歪んでいる私には、整体やマッサージによる身体のメンテナンスが欠かせない。

鍼灸整骨院などの医療に近いところから、アロマを使ったリラクゼーションなどのエステっぽいサロンまで、いろんなところに行っている。

そのお店は後者のほうだけれど、美容というよりは体質改善が中心のメニューだ。

 

どこのお店でも「どこがお疲れですか?」と尋ねられるが、私の場合、どこと言えないほど全身がガタガタだ。

パソコン仕事による眼精疲労と首・肩のこり、介護による腰痛、オールスタンディングのライブによる足腰の疲れと張り、などなど。

ただ、仕事と介護は言えるけど、最後のは好きでやっているので他人様に言いづらい。

それに、コンサートホールのライブしか知らない人には、ラウドロックのオールスタンディングのつらさは伝わらない。

ライブハウスに行って、前方の押し合いへし合いを経験した女性じゃないと、あのしんどさはわからないと思う。(それに、ある程度の身長と体力がある男性だとそんなにつらくないかも。)

だからよっぽど親しくなった施術者の人にしか話さないのだけど、そこのスタッフさんは、

「わかりますよ、私、ブラフマンのファンなんで」

と言ってくれて、すごく心が開けたのだった。

 

フェイシャルコースといっても、顔だけじゃなくて、首とデコルテまでを含む。

特にに私の首こりは、「ほぐすのに施術者の息が上がるほどの固さ」とスタッフ間の申し送り事項になっているほどひどいらしい。

それは自覚している点だけれど、無自覚だったのは顔の筋肉の張りだった。

 

「歯ぎしりをするとか、歯をくいしばる癖はありませんか?」

全く心当たりがなかったので驚いた。

「この部分がものすごく固くなってますよ。ここが固くなっている方は、噛みしめ癖がある方が多いです」

と指摘されたのは、いわゆるエラの部分。

 

昔、私には気に入らないことがあると眉をひそめる癖があって、気づくと眉間に深いシワができていた。

それに気づいて以降、ストレスがかかっても眉を動かさないようにすごく気を付けていたのだけど、それをしない分、今度は無意識に歯をくいしばっていたらしい。

確かに、イライラしたときは「イーッ!!」と唸りつつ、怒りを噛み殺しているかもしれない。

どうりで、エラが張って顔が大きくなるはずだ。

その部分をほぐしてもらうと(かなり痛かった!)、顔のラインも少し小さくなったし、首回りも少しスッキリした。

そこが改善されると、首の前の部分の張りも取れるらしい。

耳の下から喉の窪みに向けて斜めに走るスジ(というかリンパ腺?)がいつも張っていて首を太く見せているのだけど、緊張がほぐれて首も細くなった気がする。

 

目の周りをほぐしてもらうときも「イテテテ」と声が出るほど痛く、顔全体の筋肉があちこち固くなっていることに驚いた。

顔こりから首こりへ移行していたり、顔こりから頭痛を起こしたりもしてたんだろうなぁ。

 

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私はいくらでも外でマッサージを受けることができるけど、母はそんなわけにはいかない。

だから、朝晩、母の顔を拭いたあと保湿ジェルを塗ってあげるときに、自分がしてもらうようなフェイシャルマッサージをしてあげる。もちろん、時間があるときだけだし、見様見真似の簡単なことだけだけど。

外出しない母の肌はツルツルだけど、筋肉が固いので母の顔はカチカチだ。

 

大脳皮質基底核変性症は全身の筋肉をこわばらせてしまう病気だけれど、手足だけじゃなく顔の筋肉まで固くしてしまう。

口と舌をうまく動かせないのでおしゃべりができなくなってきたし、表情筋を動かせないので笑顔が出なくなってきた。

 

そして、介護する側にとっては、何が困るって、歯磨きのときに口を大きく開けてくれないことだ。

「はい、お口開けて~」

と声をかけるとちゃんと開けてくれる日もあれば、ちっとも動かないこともある。

最初はよくてもだんだん閉じてきて、歯ブラシを引っ張り出すのに苦労することもある。

「開けてくれ~」

「開けろ~!」

「開けんかい、こら!」

と、だんだんと掛ける言葉もガラが悪くなっていく。

 

昔親戚のおばさんたちが集まっておしゃべりしていたときに、介護の苦労話になって、

「歯があるんとないんとではだいぶ違う。総入れ歯やったらラクやけど、残っとったら大変」

と言っていたのを思い出す。

うちの母は、学生時代に「歯の女王」に選ばれかけたくらい丈夫な歯をしているので、毎日の歯磨きが大変だ。

うがいができない人間のオーラルケアは本当に面倒で、歯磨き用のウェットティッシュを使って口腔内を拭き、泡の出ない歯磨き剤を使ってブラッシングし、時には歯間ブラシや口腔ケアスポンジを使うなど、いろんな道具をフル活用している。

 

しかも、手抜きをすると歯肉炎が悪化するので、ズボラをしたことがすぐばれてしまう。

先日、うまく口を開けてくれないので歯磨き用ウエットティッシュで口の中を拭いただけで寝かせていたら、翌朝右頬が赤くなって熱を持っていた。

右頬だけなので風邪などではないことは明らかで、虫歯かと思い、施設に巡回に来ている訪問歯科さんに診てもらったら、奥歯の歯肉炎が悪化していたせいだとのことだった。

 

ケアマネさんも、母が上手に口を開けないせいで施設でも口腔ケアがうまくいっていないことを心配してくれて、訪問歯科の先生にアドバイスをもらってきてくれた。

そこで勧められたのが、オーラルバイトという口を開けさせるスポンジの棒。

口を開けさせてオーラルバイトを噛ませ、その間に歯磨きをする、というシロモノだ。

マンガでよくある、ワニの口のつっかえ棒みたいな発想だ。

oral-bite.com

 

とりあえず施設内で使ってもらって、使い勝手が良かったら家でも使います、という話になっていたのだが、しばらく経っても「良かったですよ」という声がない。

「どうでしたか?」

と尋ねると、

「歯磨きはしやすくなったんですが…」

と言葉が濁る。

「家でも使ったほうがいいですか?」

「どうでしょうか…。せっかく購入していただいたんで、継続して使用していますが…。一度噛まれると、今度は噛んだまま離されなくて、取るのに苦労するんです…」

 

考えてみたら当然のことだ。

ワニの口だって、より大きく開けたら棒が倒れて自由になるのに、閉めようとするからつっかえるんだもの。

閉めようとするものを無理やりこじ開けたら、つっかえるに決まっている。

便利にするつもりが、介護スタッフさんにより負担をかけてしまったことに申し訳なく思った。

 

結局、母の口周りの筋肉が動きやすくようにマッサージしてあげるくらいしか、今のところできることがない。

特に、噛みしめ癖で張るエラのところね。

スカヨハ『ゴースト・イン・ザ・シェル』に大満足。

毎年「なりたい顔ランキング」が発表されていて、今更の話だが2016年の女性1位は石原さとみだったらしい。
そのニュースを見たとき彼氏が、誰の顔になりたいか訊いた。
私はしばらく考えてから、
「ローラ!」
と答えると、すかさず、
「外人になっとるやないか!」
と突っ込まれた。

攻殻機動隊』がハリウッドで実写化されるらしい、しかもキャストがスカーレット・ヨハンソンらしい、と聞いたときの私は、全く同じ突っ込みを入れた。
草薙素子が外人になっとるやないか!と。
日本人じゃなくていい。せめて東洋系の女優さんであってほしかった。

漫画やアニメの実写化となると、原作ファンは厳しい評価をするものだ。
キャスティングもそうだし、ストーリーもそうだけど、自分のイメージとちょっと違うと、ファンは受け入れなくなる。
だから、今回の実写化は見るのをためらっていたけれど、私のゴーストが、「これは見とけ!」と囁くので、先週OSシネマズ神戸ハーバーランドへ見に行った。(※ネタバレ御免。)

冒頭にスカーレット・ヨハンソン「ミラ」と呼ばれたときは、
「ミラて!ジョボビッチかよ!ウルトラバイオレットかよ!」
と唇を尖らせてしまった。
そうか、やっぱり私が期待する攻殻機動隊じゃないかもしれない、と。

ところが。

www.ghostshell.jp

一筋縄ではなかった。
原作ファンがっかり現象、そんなことは十分わかって作られている。
だから、これまでの作品を踏まえ倒して、あらゆる攻殻機動隊シリーズを折り込んできた。
1995年の押井守監督の劇場オリジナル版だけでなく、『イノセンス』も『STAND ALONE COMPLEX』も『2nd GIG』もきちんと踏襲している。
オリジナル版が踏まえられるのは当然としても、それ以外もきちんと押さえているとは。

高層ビルの雑居アパートを見上げる空の隙間に飛行機が横切る構図を見たとき、あまりに押井守的なので鳥肌が立った。
芸者ロボットの顔がパッカリ開くお化け屋敷的映像や、クラブにおける銃撃戦、ジュリエット・ビノシュの女性研究者は『イノセンス』の引用だろう。
また、バトーの飼い犬として登場するバセットハウンドも、ファンとしてはニヤリとさせられた。しかも名前が押井守の愛犬と同じガブリエル。
つまり、「わかってるなぁ!」とファンに思わせることに長けているのだ。

トーリーの核となるところは『2nd GIG』をなぞっていて、クゼが少佐の元彼という設定になっていた。
クゼも少佐と同じく、なんで白人やねん、と突っ込みたくなるところだが、実は日本人だったのだけど、陰謀によって殺されかけ、全身義体化の実験材料にされていた、という背景が浮かび上がってくる。
つまり、少佐も、元は草薙素子という日本人だったのに、全身義体化され、記憶も消されていたというわけだ。

ま、それなら東洋系じゃなくても納得がいく。
もし私が全身義体化するとして、好きな身体を選びなさいと言われたら、スカーレット・ヨハンソンになるのも悪くない。
いや、むしろ積極的になってみたい!

クゼはラスト、死に際に少佐をネットの世界へ誘う。そのあたりは人形使いも重ねられているようだ。
押井守版では、少佐は最後にネットの海へ消えていくけれども、この実写版では、少佐は元彼クゼの誘いを断り、この世界にとどまる決断をする。
生身の女性であるスカーレット・ヨハンソンがやっていることで、少佐がより女性的で、感情の揺らぎを感じさせる人間に描かれていた。
少佐というと、圧倒的な強さが魅力なんだけど、実はスカヨハの少佐はちょっと弱さが見える。
『ARISE』の素子も、若い時代の話なだけに、それまでより少し弱いところがあったが、それに近い素子像なのかもしれない。

クゼは撃たれて絶命するのだが、そこへバトーが現れる。
昔の記憶を取り戻した少佐に、バトーが本当の名前を尋ねる。
「モトコ…」
と答えた少佐に対し、バトーが、
「でも、俺たちの少佐だよな」(←うろ覚え)
みたいなことを返すシーンには思わずうるうるしてしまった。

どのシリーズでも、素子とバトーの関係にはキュンキュンしてしまう。
絶妙にビミョーな二人の関係は、実写版でもそっくりそのまま。
トーの出番はそれほど多くなかったけれど、彼のタフだけど気さくで温かい雰囲気がよく出ていた。

他のキャストでは、荒巻課長がビートたけし、という点に注目が集まっていたが、容貌が似ているようでなんか違う。
何が違うんだろう、と間違い探しのように考えると、ハゲとヒゲだった。
アニメと同じ容姿にすることはできただろうけど、ハゲヅラかぶってヒゲをつけていたらコントに見えたかもしれない。

公安9課のメンバーではっきりわかるのは、トグサとサイトウくらいで、イシカワとボーマはクレジットされているけれど誰なのかわからずじまい。
パズは?と思っていたら、その代わりなのか、ラドリヤとかいう知らない女性メンバーが増えていた。なんでパズじゃダメなの?
タチコマがいなかったのも寂しいけど、それは望み過ぎか。
あと、特筆すべきキャストで言うと、素子の母親役として桃井かおりが出ていた。

誰がどうだ、何がどうなってる、と攻殻機動隊ファンはオタク的に楽しめるけれど、予備知識がない人は楽しめる作品なのだろうか。
公安9課が何なのかもさっぱりわからないだろうし、電脳化や熱光学迷彩も言わずもがなで話が進むので、さっぱり理解できないかもしれない。

そのあたりで評価は分かれるかもしれないけど、私としては、見終わったあと珍しく、
「もう一度劇場で見たい!」
と思える作品だった。
今回は字幕版だったので、次は吹き替え版にしようかしら。
吹き替えはめったに選ばないのだけど、声優さんのキャストがアニメと同じなのがうれしい。
最近はモノを増やさないように買い控えていた映画パンフも、こればっかりは買ってしまった。


そして、この際だから書いておきたいことがひとつ。
攻殻機動隊の舞台となる街は、新浜市という都市である。
実写版では日本の特定の都市ではなく、『ブレードランナー』のようなどこかの街として描かれていた。
それはそれで、絵的に美しかったから私は好きだけれど、神戸市民としてはちょっと残念。
なぜなら、2030年、攻殻機動隊の世界で首都になっている新浜県新浜市とは、神戸のことだからだ。
戦争で東京が壊滅して、六甲アイランド付近に首都が移っている、というわけ。
港を臨む海上都市の風景、西播磨にあるSpring-8との距離感など、リアリティがある設定にうならされる。
私にとって重要でも、ハリウッドにとってはどうでもいいことだから無視されたんだろう。
それは別にかまわない。

私がすごく気になっているのは、英語版のウィキペディアである。
ウィキの『GHOST IN THE SHELL』の新浜市のNoteとして、現実世界では愛媛県新居浜市のことだと注釈がついているのだ。
Ghost in the Shell - Wikipedia

おいおい誰だよ、そんなデタラメ書いた人は!!
実はこのことは何年も前に気がついていて、ときどきチェックしているけど、ずーっと修正されないまま。
誰か正しく書き直しておくれ!
そうじゃないと、間違ったまま2030年になっちゃうよ!

『T2トレインスポッティング』は選んだ未来だったのか。

先週の火曜日は神戸国際松竹へ『T2トレインスポッティング』を見に行った。

www.t2trainspotting.jp

おそ松さん 春の全国大センバツ上映祭』と2本見るつもりをしていたのだけど、終業後に課長との打ち合わせが長引いて、おそ松さんの上映時間に間に合わなくなってしまった。(打ち合わせといってもほとんど愚痴の言い合いだったけど。)

平日の夜に2本映画を見るのも疲れただろうから、結果的には『T2~』だけで正解だったかもしれない。

『T2~』の開始時間までは、一人で回転寿司屋に入って小腹を満たした。

 

20年前の私は、20年後の自分が平日の夜一人で映画を2本見ようとする女になっていると想像していただろうか?

一人で回転寿司を食べるような40代になっていると思っていただろうか?

 

思っていたような気もするし、予想だにしていなかった気もするし、何も考えていなかった気もする。

40歳を過ぎてからは、人生を振り返ることが多くなった。

20歳の倍を生きてしまったんだなぁ、という思いと、今がちょうど折り返しで、80まであと半分も生きるんだなぁ、という両方の思いからだ。

 

あれから20年も経っているのに何者にもなれていない自分に、日々呆れながら暮らしている。

フラカンの歌詞を借りると、「靴底は減っているのに見える景色は変わらない」ってとこだ。

20歳の私には焦燥感があったけれど、今はそれすら失って、なのに平然と生きている。

 

トレインスポッティング』を見たのは、大学生のときだった。テアトル梅田だったと思う。

90年代のポップカルチャーの代名詞と言われているように、当時の若者はこぞって見に行った。

こんなオシャレな映画があるだろうか、と衝撃を受けたものだ。

 

『T2~』の冒頭、再び私は衝撃を受けた。

オシャレさにではない。

ユアン・マクレガーをはじめ登場人物4人の、ひどすぎるおっさんぶりにだ。

 

「老けたなぁ、おい!!」

 

双方向コミュニケーションなら「おまえもな!」と返されるところだが、幸い彼らはスクリーンの中だ。こちらが見えなくてよかった。

 

見た目こそ、大きな変貌をとげていた4人だが、中身は全く変わっていなかった。

相変わらずのダメっぷりで、恐ろしく成長していない。

ただ、中年になった分、ダメさのダメージが大きく、深刻さが増していた。

若ければダメでも笑えるが、中年のダメには苦笑すらできない。

 

映画の出来としても、それほどの求心力はなく、封切りすぐにレイトショーなのも仕方ない気がする。

だいたい上映時間がおそ松さんの後だもの。中年4人は六つ子のニートに負けてんじゃん。

 

その中で、見に来た甲斐があったなぁ、と思ったのが、主人公レントンがレストランで自分の思いを語るシーンだった。

どんなセリフだったかというと…、あれ、えーっと…、あの…、長い語りすぎて思い出せない…。

正しい言い回しは記憶にないけれど、要約すれば、とにかくこのクソみたいな世界で自分たちは人生を選べたかという話だ。

Choose life, choose  a job, choose your future.

長い語りの中に、そんなふうなフレーズがちりばめられていた。(と思う)

 

それは前作『トレインスポッティング』のキャッチコピーに使われてたフレーズだった。

日本語のキャッチはこう。

「未来を選べ」。

このコピーは当時の若者たちの胸に刺さった。

UnderWorldの『Born Slippy』の最初の一音が響くだけで胸に新鮮な空気が送り込まれ、ラストシーンでレントンが走り出すように、自分もどこかへ飛び出していきたくなった。

www.youtube.com

 

しかし、はたして彼らが選んだ未来は、この姿だったのか。

『T2~』が21年目の回答だとしたら、いささか寂しい。

 

映画が終わってシアターを出ようとすると、後ろのほうの座席に大学生らしい4人組の男の子たちがいた。

 

「オレ、全然意味がわからんかったわ」

「前の映画見とったらわかったんかなぁ」

「え、おまえら見てなかったん?」

「おまえ見たん?」

GYAO!でタダで見れるで」

「なんで見に来る前に言うてくれへんかったん」

「あとで見てもわかるかなぁ」

 

彼らがそんな会話をしているのを聞いて、若くて愚かで貧乏、というかつての自分を見る気がした。

見える景色は変わっていないけど、私は少なくともその3点セットからは抜け出せている。

 

未来を選べ。

80歳まであと半分ある。

神戸の人は神戸牛を食べない。

4月9日日曜日は、オーケンの「いつか春の日のどっかの町へ」ツアーの神戸Bo Tambourine Cafe でのライブだった。
この会場でのライブは昨年10月に続いて2回目。
ここは私の職場の近所にあるカフェで、自分の日常のテリトリーにオーケンが来てくれることが、心の底からうれしい。
(この日の概要については、こちらの『オーケンとおでんのための元町ガイド』をご参照いただけるとありがたい。オーケンとおでんのための元町ガイド)

登場して1曲目は、筋肉少女帯の『死んでゆく牛はモー』で始まった。
筋少の中でもなかなかに不条理な曲。
二番の歌詞は、「死んでゆくサルはモキー、死んでゆくトラはガオー」というのだが、この日オーケンさんは「モキー」と「ガオー」をテレコに歌ってしまった。
本人もすぐ気付いて、「逆ですね」と可愛らしくつぶやいたのだけど、それもこれも神戸への怒りのせいだという。

裏切りの街、神戸!!

そう言われるほどに、オーケンさんを怒らせた神戸とは!?
それが、こんな話なのである。

せっかく神戸に来たのだから神戸牛でも食べようと思ったオーケンさん。
しかし、ステーキが予想以上に高い、と思っていたところへ、「ランチ1,500円」というお店を発見。
お店に入り、「1,500円のランチを」と言うと、「売り切れました」と言われてしまったそうだ。
席についてジャケットも脱ぎかけているし、今さら店を出るわけにもいかず、次に安いのは、とメニューを見ると2番目のランチは2,500円(しかも税別!!)。
千円も高い!!
そう憤慨しつつも、渋々オーダーされたそうな。

オーケンさん、よっぽど納得がいかなかったようで、この日何度も「神戸牛ランチぼったくり事件」をネタにされていた。

正直いえば、2,500円のランチは2,500円なりの品だろうから、いわゆる「ぼったくり」とは言えないと思うし、1,500円の次が2,500円というのも、そうおかしな値段設定ではないと思う。

ただ、1,500円と出しておいて看板に偽りありというのはよろしくない。

神戸の人間としては、オーケン様がせっかく神戸に来てくださったのに、その店のせいで神戸の印象が悪くなったなら許せない。
こちとら、神戸を気に入ってもらいたいために躍起になっているのに(そしてまた来てもらいたいのに)、その店は何を台無しにしてくれとんじゃあぁっっ!?!?

いったい、どこの店だろう?
と、街を歩くと、ぞろぞろと「神戸牛ランチ1,500円~」の看板が見つかるではないか。

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しかも、そのほとんどが、吉祥吉という店の系列店であることが判明した。
www.koubegyuu.com

ここ10年ほどで雨後の筍のごとく店舗数を増やしている観光客相手の店だ。
間違いなく、オーケンさんは吉祥吉系列のいずれかの店に入ったに違いない。

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そこで、ふと疑問がわいた。
コンビニの数より多いんじゃないかという吉祥吉の店舗数なのに、私は吉祥吉を利用したことがない。
周囲で、吉祥吉に行ったという話も聞かない。

いやいや、それよりもまず、神戸牛を食べるということが、ほとんどない。

神戸の人は神戸牛を食べるのか?と。

周囲の何人かにヒアリングしたところ、吉祥吉に行ったことがある人はゼロ。
そしてやはり、ずっと神戸で生まれ育った人でも、まともに神戸牛を食べたことない人までいた。

そこで見えてきたのは、

☆地元の人間は、観光客相手の店には入らない。

という当たり前の事実。
東京の人は東京タワーに行かない、京都の人は京都タワーに行かない、神戸の人はポートタワーに行かない、というのと同じ。

そして、神戸牛を食べたことがある、という人がどんなときに食べたかというと、特別な記念日、もしくは接待、というかんじだった。
それなりの値段がするものだから、やっぱり信頼のおけるとこへ、特別な日だけ行くものなのだ。

高価なものだから、覚悟を決めて食べるものなのである。
「ちょっと食べてみたいな」
といって気軽に庶民が手を出せるものじゃないのだ。

だからこそだと思うけど、行ったことがあるお店には、ビフテキのカワムラ、モーリヤ、菊水、大井肉店、和黒、といった老舗の有名店があがった。

www.bifteck.co.jp
www.mouriya.co.jp
kobe-kikusui.com
www.oi-nikuten.co.jp
神戸牛ステーキ あぶり肉工房 和黒

そもそも高いものなんだから、信頼のおけるところで、という心理なんだろう。

最後に、私が何か情報を得たいときに相談する、なじみの中華料理屋店主に話を聞いてみたら、第一声がこれだった。

「神戸牛を1,500円で食べようっていうのが間違うとるわ」

「でもでも、ちゃんと看板に神戸牛ランチ1,500円って書いてあるんだよ?」
「だいたい、ほんまもんの神戸牛やったら仕入れ値で100グラム2,000円はするのに、1,500円で出せるわけないやんか。どこの部分の肉かいうのもあるんか知らんけど、そんなん神戸ビーフちゃうわ、『神戸で食べる牛』や」

神戸で食べる牛、という言葉を聞いて、神戸の人が神戸牛を食べない理由がわかった気がした。
だって、アメリカンビーフを家で食べたって「神戸で食べる牛」になるんだもん。

そこには、
「何をもって神戸牛というのか」
という問題がある。

もちろん、きちんとしたブランドがあるけれど、「神戸牛」とは呼ばない。
神戸牛は通称だ。
登録商標は「神戸ビーフ」で、神戸ビーフ、または神戸肉と呼ぶのが正しい。
www.kobe-niku.jp

「神戸牛ってほんまは但馬牛のことやんか。ブランド化された神戸ビーフやなくても、但馬牛でええねん、十分美味しいねん」

ちなみに、そんな中華料理屋店主のおススメのお店を聞くと、三宮のホテル ザ・ビーの地下にあるプレジールだそうだ。
「でも、高いで」
と彼は言った。
神戸 プレジール|KOBE PLAISIR|JA全農兵庫の直営レストラン | JA全農兵庫の直営レストラン。極上の神戸ビーフと選りすぐりの兵庫県産食材をお楽しみ下さい。

ちなみに、私のおススメは、阪急神戸三宮の北の路地にあるnot'sというステーキハウス。
とってもリーズナブルだけどちゃんと美味しいので、ステーキが食べたいときはここを選んでいる。
www.steaknots.jp

でも、not'sは神戸牛じゃない。国産だと思うけど、どこの牛さんかは明示していない。
そんなこと結局どーでもいいんだ、美味しかったら。

どこの牛だとしても、死んでゆく牛はモー。