3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

病院からの呼び出しで時が慌ただしく過ぎた週。

月曜日に母の病院から電話があり、主治医から病状説明がしたいと言う。

日曜日に高熱が出て、経管栄養も止めて点滴になっているというのだ。

これはある程度の覚悟を持って行かないといけないのかな、と気持ちに折り合いをつけ、火曜日に母の病院へ行った。

神戸から姫路まで、サトイモを連れて電車とバスを乗り継いでのプチ旅行となった。

サトイモにとって、初めての電車とバス。騒ぎもせず泣きもせず、好奇心に満ちた目でじっと車窓を眺めていた。

 

母の病状を簡単に言うと、誤嚥性肺炎にかかってしまったということだった。

治るかどうか、治るとしてもどれくらいかかるか、個人差が大きいので何とも言えないということだったが、 幸い抗生剤が効いたようで熱が下がっており、このままいけば重症にはならないかと思われる。

呼吸をするたびにガーガーと苦しそうな息をしていて、見ているほうも辛かった。

 

その日の夜は実家に泊まった。

産後初めてのお泊り。

畳の部屋にシングルの布団を敷き、サトイモと二人で寝た。

サトイモの寝相がすごくて、まだハイハイできないはずなのに、いつのまにか布団から飛び出して畳まで転がっていくので、ろくに眠れなかった。

 

そのあたりの状況をブログに書こうと思っていたのだけれど、なかなか時間が取れず、もう週をまたごうとしている。

母の状況も心配だし、万が一のことも考えないといけないし、父の生活状況も気になるし、サトイモは日に日に成長するし 、自分のマンションの浴室はリフォーム工事をするし、筋肉少女帯のニューアルバムのキャンペーンが始まっているしで、落ち着かないことばかり。

落ち着くことなんてないのかもしれないけど、また改めよう。

いろんな夫婦のかたち

夫が会社に出かけていくとき、サトイモを抱いて玄関でお見送りをする。
ある朝、
「じゃあ行ってくるわ」
と言う夫に、私は寝転がっているサトイモを抱き上げ、
「“パパいってらっしゃい”しようね」
という言葉を無意識に口に出した。

その瞬間、脳がフラッシュバックを起こし、自分が赤ちゃんだった頃の記憶がよみがえった。
抱っこされているのは幼い私。
「“パパいってらっしゃい”しようね」
と言うのは若い頃の母。
窓から見える、父が手を振ってから車に乗り込む風景。

「パパいってらっしゃい」に限らず、最近私がサトイモに対して話しかける言葉は、かつて母が私に対して言っていたことが多い。
無意識なのに、私は自分が母にしてもらったことをなぞっていることに気付く。
そしてようやく、自分が愛された娘だったことに胸を打たれた。

両親ともに、私を大事に育ててくれた。
なのに、若い頃の私は両親のことが大嫌いだった。
家を出たくてしかたなかった。

理由ははっきりしている。
夫婦ゲンカが多かったからだ。
母は絶えず愚痴や父の悪口を私に聞かせた。
父を擁護すると怒られるから、黙ってきいているしかなかった。
それが日常だったから、それが嫌だと思うことさえはばかられた。

自分が親になって、やっちゃいけないと思っているのは、子供の前で夫婦ゲンカをすることと夫の悪口を言うことである。
それだけは絶対に避けたい。


通い婚スタイル


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ジジジラフさん、おっと間違った、樹木希林さんが亡くなられて、内田裕也氏との別居婚についてテレビでしょっちゅう取り上げられていた。
けれども、よく聞くと最初の一年半は同居していたらしい。
一応、最初はトライしてみたんだな、と思う。

うちは、籍を入れてこのかた、まだ一緒に住んでいない。
住民票も別である。
夫は週の半分は実家に住んでいて、残り半分はうちに泊まる。

最初、夫から「住所を移すつもりはない」と言われたときは、正直面白くはなかった。
夫は再婚をしたことをごく最近まで周囲に知らせることをしなかった。
会社に対してもサトイモの扶養などの手続き以外は内緒にしているらしい。
理由を聞くと、「いい歳なのに恥ずかしい」と言う。

私は昔から「結婚はしたくない」と言っていた手前、
「だったらそれでいいけど、子供手当とかの役所の手続きが面倒になっても知らないよ」
としか、不満を表現するすべを持たなかった。

プロポーズもなし、指輪もなし、結婚式もなし、披露宴もなし、記念写真もなし。
ないないづくしなので、結婚したという実感もわいたことがない。
だから、他人様に話すときには、「結婚しました」ではなく「入籍しました」と報告するようにしていた。
お祝いをいただいたときには、なんだか申し訳ない気持ちになった。

しかし、やってみると、今の通い婚スタイルは非常に利便性がよい。
突き詰めて考えてみれば、別居婚を不満に思うのは世間体だけの問題だと気が付く。

別居だと、夫の荷物が最低限しかないので、部屋が広く使える。
食事は毎日用意しなくていいし、洗濯物も少なくて済む。
人が一人いるかいないかで、家事の量が違う。
今はお姑さんが半分やってくれているようなもので、赤ん坊の世話で手一杯な今、それは本当に助かる。

母の介護をしていたとき、私一人で母と父の二人を面倒みないといけなかったため、父の存在は大変うっとおしかった。
私と父の二人で母の面倒を見るのならいいけれど、そうはならないのである。
育メンが増えてきた昨今でさえ、ママが赤ちゃんとパパの両方の面倒をみている家庭は多い。だから女性の負担が大きいのだ。
2対1ならいいけれど、1対2になるのが日本の現状。

なら、1対1のほうがいい。


他人と暮らすということ

そんな通い婚ですら、半分でも一緒に暮らすと見えてくるものがある。
10年以上付き合ったのに、それでも知らなかったことがボロボロ出てくる。

一番最初はトイレットペーパーだった。
産後、出かけられない私に代わって、夫はいつも買い物に行ってくれた。
足りなくなって買ってきてくれたトイレットペーパーはシングルロール。
私はダブル派だったので、「自分で買いにいけるようになったらダブルに戻そう」と思っていたのに、残り半分もストックがある状態で夫はまたシングルのトイレットペーパーを買ってきた。
ホームセンターで安かったらしい。
「またシングル!!」
私はややショックを受け、とうとう口にした。
「今度買うときはダブルにしてもらえないかしら」
「なんで?俺シングルを勢いよく引っ張り出すんが好きなんやけど」
「ああそう…?じゃあええけど…」
生まれてこの方、ずっとダブルで暮らしてきた私にとっては、この世の中にシングルが好きな人がいることに驚いた。

その後も、様々なことで二人の生活の違いに気付く。
キッチンの流しの使い方、醤油とポン酢、塩コショー、味噌汁、窓やカーテンの開け方…。

ある晩ご飯のこと。
献立はブロックの豚肉を長時間煮込んだゆで豚に、万願寺とうがらしの炒め物、お味噌汁、お姑さんが持ってきてくれたお漬け物。
ゆで豚のつけダレに、先日買った市販の「油淋鶏のタレ」を使おうと思っていたところ、夫が帰ってきたので、
「つけダレは何がいいと思う? この『油淋鶏のタレ』をかけようと思うんだけど」
と尋ねると、
「豚やろ? 鶏違うやん。やったらポン酢とラー油やな」
と言う。
買ったばかりで『油淋鶏のタレ』のポテンシャルがわからない分、不本意ながら今回はあきらめることにした。

万願寺とうがらしを使ったのは、ししとうのように特別辛い「当たり」が存在しないだろうという意図があったのだけれど、食べてみると、10個にも満たない万願寺とうがらしの中に当たりが存在した。
「ひえ~、辛い!! 万願寺とうがらしの意味ないやん!」
と舌を出して辛がっている私に、
「俺は好きやな。むしろもっと辛いのがあってほしい!」
と夫は言う。

なんだかそれに私はカチンときて、
「さっきもそうやけど、10年以上も付き合ってきて、私がラー油使わへんの知っているよね? 辛いの苦手なんわかってるのに」
と夫につっかかった。
それからは不毛なやり取りが続き、最終的に夫が、
「そんなに辛いのが食べられへんのやったら、食わんでええやろ」
万願寺とうがらしをキッチンのゴミ箱に捨て、
「私が作ったおかずやのになんで捨てるんよ! まだごはん食べてるのに!」
と私が怒り、それから3日間、私たちは口をきかなかった。

トイレに入るたびに、
「どうしてほとんど家にいない夫のために、ほぼ24時間家にいる私がシングルのトイレットペーパーを使わないといけないのよ!?」
と腹が立って仕方なかった。

辛い万願寺とうがらしが増えると、夫はうれしいかもしれないけれど、私は不幸になるじゃないか。
自分が好きでも相手が嫌いなもの。
自分が幸せになればなるほど、相手が不幸になること。
それってすごく自分勝手なんじゃない??

そういえば、宇多田ヒカルの歌に「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ」というフレーズがあったっけ。
幸不幸はシーソーのようなものだ。
「みんなの願いは同時には叶わない」。

逆に。
好みが真逆なら、どちらかが不幸でもどちらかが幸福だということが成り立つんじゃないか、と思い始めた。
ひとつの家の中で、一人でも幸せな人がいればそれでOK。
万願寺とうがらしが辛くなければ私が幸せ、辛ければ夫が幸せ。
配偶者が幸せであればそれで幸せ。
どこまで行っても異なる二人なのだから、その違いをプラスに変えないとこの先長い人生、一緒に歩いていけない。

結局は私がLINEで謝った。雨降って地固まる。

まだ半分夫婦の私たちが本当に夫婦になるまでにはしばらくかかりそうだ。

赤ちゃんは宝物

月曜日の休日、定例の実家帰省をしてきた。

帰省時、毎回悩みの種になるのはお昼ごはんだ。
実家近くのお弁当屋さんやスーパーでお弁当を買って行く。
私は何だって食べるけれど、夫は口が肥えている分、出来合いのお弁当ではあまりいい顔をしない。
かといって、家でお弁当を手作りする時間も腕もないし、実家で食事を作る時間なんてさらにない。
足の悪い父と乳児がいるから外食は難しいし、田舎だからデリバリーもない。

スーパーでお弁当を買うのならと、今回、いつも父のお弁当を配達してくれているセブンイレブンで、Web予約限定のお弁当を注文しておいた。
あらかじめ決めておけば、「お昼どうする?何食べる?」とグズグズ悩まなくてすむ。

配達時に在宅していなかったらまずいので、届けてもらわずに店舗に取りに行った。
父も含めて3人分のお弁当である。
レジをしてもらっているときにカウンターを見ると、地元の和菓子が並んでいるのが目についた。
いちじく羊羹、あゆ最中、醤油饅頭…。

久しぶりに醤油饅頭が食べたくなって、つい追加で買ってしまった。
播州をさらに西に行けば赤穂の有名菓子に塩味(しおみ)饅頭がある。塩味饅頭はご当地土産としてメジャーなので姫路駅の売店などでも買えるけれど、醤油饅頭は地元でしか知られていない和菓子。
夫に、
「知ってる?」
と尋ねると、当然、
「聞いたことない」
と言う。



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「あとで食べよう」
「美味しいの?」
「ふつうかなぁ。でも、醤油味のお饅頭なんて食べたことないでしょう?」
「ないけど、別にええわ。だいたい想像つくし」

何でも食べたがりの私と違って、食に対するチャレンジ精神があまりない夫はあまり興味を示してくれなかった。
つまらんなぁ。


父の様子

 

実家に帰ると、今回は父がちゃんと起きていてすぐに出てきてくれた。
歩き方は先月よりマシになっているように見える。
脚が悪いという自覚が出てきたのか、ちゃんと杖もついていた。

部屋もまあまあ片付いている。
すべて週5日来てくれるヘルパーさんのおかげだ。

和室の机にお弁当を並べ、父には折り畳みのイスとサブテーブルを出した。
イスもサブテーブルも、かつて母の介助のために買ったものだ。

「お父さんはここ座ってね」
「いや、お父さんはいらんわ。さっき朝ごはんのパンを食べたばっかりや」
「えーッ。でも、お味噌汁はお湯入れてしまったし、それくらい飲めるやろ?」
「ほんならそれだけ飲むわ」

それなのに、父は私が出してきたイスに座ろうとしない。
「なんで座らへんのよ?」
「いや…」
「何したいの?どこに行きたいの?」
「いや…」

昔からそうだけれど、父は自分がどうしたいのか口で言わない。
どうしたいか言ってくれれば、こちらは介助するのに。
何も言わずに、何かしようとしている様子を見ているとイライラする。

どうやら、畳に座ろうと頑張っているのだとわかった。
父の足では畳に座るなんて到底無理だ。
無理なことをしようとして、体勢を崩した。

私が手をつかもうとする間もなく、父は後ろ向きに転倒してしまった。
ゆっくり倒れたので勢いが弱かったからよかったけれど、運が悪かったら後頭部打撲で救急車だ。

慌てた私たちに対し、
「こけたん、久しぶりや」
と本人はけろりとしている。
「もう、気ぃつけてよ! せっかくイス出したんやから、文句言わんとイスに座って!」
転倒した反省からか、今度は素直にイスに座ってくれた。

お弁当は私と夫で分けて食べた。
あとで夫に聞くと、
「予約限定とか言うても、コンビニ弁当はコンビニ弁当やな。おかずが違っても全部同じ味付け」
と言われた。
見た目は野菜も多く品数もあってヘルシーそうに見えるけれど、確かにどれも同じような味付けで、どれも塩分が濃かった。

これまで父のお弁当をずっとセブンイレブンでWeb注文してきたけれど、そういえば一度も味見をしたことがなかった。
私の出産前、父が飽きたと言い出して注文を止めていた時期がある。
そのせいで父が栄養不良で脚が悪化したりしたんだけど、実際食べてみると「飽きた」という父の気持ちも理解できた。
父は濃い味が好きなので味付けについては文句を言わずに食べているけれど、決して良いことではない。

食事が終わって父が席を立つと、畳に鰹節がパラパラと落ちていた。
お弁当のが風で飛んで落ちたのかな?と思って手で触ろうとした瞬間、思いとどまった。

鰹節じゃないっ!

父の足から剥がれた皮膚だった。

数年前から父の足のくるぶしあたりがカサカサに荒れていた。
一度、皮膚科にかかって塗り薬ももらっていたのだけれど、ものぐさな父は気が向いたときしか塗らない。
見た目が悪いだけで、痛くもかゆくもないようだからなおさらだ。

掃除機をかけたあと、父には毎日薬を塗るようにきつく注意した。
座っただけでこんなふうにポロポロ皮膚が剥がれ落ちるなんて、汚いったらありゃしない。
今はまだいいけれど、サトイモが這うようになったら大変だ。

実家では、サトイモを和室のベッドの上に寝かせている。
かつて母が寝ていた場所だ。

連れて来られてしばらくはおとなしくしていたものの、慣れてきたらお得意の寝返りでゴロゴロ転がって、足をバタバタして暴れまくっていた。
「おお、元気や、元気やなぁ」
その様子を父が嬉しそうにみていた。

食事が終わってからは、サトイモの近くにイスを移動して父に座ってもらった。
すると、
「ちょっと」
と父が言う。
「何?」
「ちょっとちょっと」
と父が手を出す。
「だから何よ?」
「ほれ、ちょっと」
「どうしたいのよ?」
「ちょっと、サトイモくん抱かせて」

これまで、「小さいから怖い」と言ってサトイモを抱きたがらなかったのに、ようやくだ。

「重いから気をつけてよ。7キロもあるんやから」
とそっと私から父に手渡す。
「おおそうか」
「絶対落とさんとってよ!」

サトイモは人見知りもせず、おじいさんのシャツに小さなお手てを伸ばす。
私はさっき父がタバコを吸っていたのが気になって、
「ニコチンが移る~」
と渋い顔をした。


母の病院にて

病室に入ると母は目を開けていた。
開けてはいたが、目の焦点が合ってないというか、まるで何も見えていないようだった。
しかし、顔をのぞきこんで、
「お母さん、なみ松が来たよ!」
と声をかけると、一瞬で目に精気が戻った。

今回はベビーカーでサトイモを連れてきたので、ゆっくり姿を見せることができた。
いつものように、爪を切ったり手足にクリームを塗ったりしていると、
「オムツ交換の時間です~」
と看護師が入ってきた。
「わぁ~、かわいい! 何か月ですかぁ?」
「5カ月です」
「わぁ~、すべすべや!」
ベビーカーからはみ出ているサトイモの小さなあんよをひとしきり触ったあと、
「交換が終わるまで出ててね。談話室ででも待っててください」
と言われた。

「今日はお風呂でよう足を洗わなあかんな」
と夫と話しながら談話室に行くと、中央にある大きなテーブルにおばあさんが一人でポツンと座っていた。
何をするでもなくただボンヤリと座っている様子はちょっと普通ではなくて、認知症を患っているのかな、と推察された。
夫に言わせるとヨーダのような顔の、小さくてしわくちゃのおばあさんだった。

すると、さっきの看護師がやってきて、
「終わりましたよ」
と知らせてくれた。
それに加えて、彼女はおばあさんにも声をかけた。
「△△さん、ええもん見せてあげるわ」
「ええもんって何?」
「見たらわかるわ」

聞いている私も、一体何だろう、と思ったら、看護師はおばあさんの手をとってこちらに向かってきた。
ええもんってまさか。

サトイモのベビーカーの真ん前まで来て、おばあさんは、
「あっ!赤ちゃんや!」
と小さく叫んだ。そのとたん、虚ろだった目が輝いた。

「かわいらしいなぁ!」
「な、'“ええもん”やろ?」
と看護師は笑った。
これまた勝手に、二人でまたサトイモの足を触る。
すると、おばあさんは私に話しかけてきた。

「初めてのお子さんですか?」

あまりにしっかりした口調に戸惑いながら、そうです、と答えた。
「かけがえのない宝物やね。大事にしてあげてね」
「ありがとうございます」

最初に見たときはまるで自我を失っているような様子だったのに、おばあさんはしゃべり方も受け答えもしっかりしていた。

「病室戻ろうか」
「連れてって」
「そこやんか」
「どこやったかな?」
「右の3番目」

そうしておばあさんと看護師は私たちより先に出て行った。
あまり高齢者に接したことがない夫は衝撃を受けたらしく、
「あんなちゃんとしゃべれる人やと思わんかった」
と驚いていた。

産後、会社の先輩がうちに遊びに来てくれたとき、産後うつどころか前よりストレスがない、という私に、
「赤ちゃんの癒しのパワーってすごいのよ」
と言ってくれたのを思い出す。

サトイモを連れて歩いていると、本当にそれを実感する。
多くの人が笑顔になってくれる。

赤ちゃんは宝物、「ええもん」だ。

その宝物がこの世界に生まれて今日でちょうど6ヶ月。

ハーフバースデーおめでとう。そして、

生まれてくれて、ありがとう。

離乳食はじめました。

今週は区役所の「すくすく赤ちゃんセミナー」と「離乳食講座」に参加してきた。


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母乳がうまく飲めない、ミルクの量が増えない、とか言っているうちに、もう離乳食である。
早い、早い。

セミナーではほぼ同じ月齢の赤ちゃんたちが一堂に会するので、隣になった人などとちょっとした会話を交わすのだけれど、
「成長はうれしいけど、あっという間に半年も過ぎて、なんだかさみしい」
と言ったママがいて、本当にそうだなぁ、としみじみしてしまった。

離乳食は5~6カ月になったら始めましょう、と言われている。
私は離乳食講座を受けたら始めようと悠長にかまえていたけれど、ほかのママたちは5カ月に入ったら早々に始めているようだった。
もう歯が生えている子もいて、ビックリ。
私がのんびりしている分、サトイモの成長ものんびりになっているのかもしれない。


まずは道具から

敬老の日の月曜日、夫に郊外のアカチャンホンポに連れて行ってもらった。
初めてのアカチャンホンポ

これまでベビーザらスに行っていたけれど、トイザらスと合体している店なので、赤ん坊に特化した並びにはなっていない。
その点、アカチャンホンポはその名の通り赤ん坊に特化しているので、必要なものがわかりやすい。
子供ができた人たちがアカチャンホンポに行くのがよくわかった。

アカチャンホンポのネットサイトはよく見ていた。
ネットは目的のものがはっきりしている場合すぐに探せるけれど、欲しいものがぼんやりしているときには時間ばかり浪費する。
店に来てみると、「こんなのもあるのか」「こういうのも便利そうだな」と、実際の商品を目で見て検討できるので勝負が早い。

その昔(20年くらい前かなぁ)、Amazonができてみんながネット書店を利用するようになったとき、友達と、
「これから本屋さんがいらなくなる時代が来るね」
という話をしたことがある。そのとき、ある友達が、
「世の中がネット書店ばっかりになったら、リアルな本屋さんが逆に重宝がられるんじゃないかな。実際に手に取って中身が確認できるんだもの。その場で買って帰れるし、『すげー便利な場所がある!』って思うに違いないよ」
と言っていた。

もうそのときの「将来」が今来ている。
アカチャンホンポでの私の感動は、
「私がずっとネットで探してた赤ちゃん用品の、実物が見れる! 類似品をすぐ検討できる!」
という「リアル店舗ってすげー便利!」というものだった。

そして同時に、
「もっと早く来ておけばよかった。もっとちゃんと必需品の検討をしてあげればよかった…」
と思った。

これまで、あらゆることにおいて余裕がなかったから、何でもネットで探して慌てて購入してきた。
ネットは「点」である。
つながりがない。
けれど、こうやって店舗で見れば、段階に応じて何が必要なのかが線でわかる。

店内には赤ちゃんを心待ちにしているらしい妊婦さんとその夫らしきカップルが、新生児用品を検討していた。
「ふつうはああやって、ちゃんと準備するものだもんねぇ」
と私がこぼすと、
「そりゃあ、受け入れ態勢が違うもん」
と夫。
待ちに待った待望の赤ちゃん、という夫婦と、うちみたいに不測の事態だった場合と。

それを考えると、サトイモがかわいそうになってくる。
すべてが後手後手に回っている分、愛情だけは注いであげないとなぁ、と親として思う。


ついで買いのメリージム

目的だった、離乳食を作るための調理器セット(すり鉢とか裏ごし器がセットになったやつ)と炊飯器でお粥が炊ける小さいジャーをカゴに入れ、店内をうろうろしていたら、メリージムのコーナーが目についた。
前々からずっと、メリージムが欲しいと夫と話していたのだ。
どんなのがいいかなぁ、いいのがないなぁ、と言いながら、日々はあっという間に経ってしまった。
メリーなんてものは、本来なら、新生児のうちから頭の上をクルクル回っているものである。
「今さら、ってことない?」
と躊躇したものの、売り場の説明を見ると1歳まで遊べるとなっているので、
「あと半年使えるんだし」
と、夫が買ってくれることになった。

買ったのは、「全身で!すくすくあそびDX」。

anpanman.bandai.co.jp


決め手になったのは、バンダイ日立製作所と大学が共同で開発している知育玩具だということ。
それに、小さい子供に絶大な支持を受けるアンパンマンだもの、好きになるに違いない。

家に帰って、夫に組み立ててもらい、さっそくサトイモを中に寝かせてみた。
大喜び…、かと思いきや、アンパンマンを見て泣き出した。

ショックを受ける私たち。

しかも、寝返りせずにはいられないサトイモは、ゴロンゴロンと寝返りをうちまくって、ジムの足に何度も体当たり。
初日にしてジムを壊してしまった。(たぶんなんとか直せる、はず。)

1歳まで遊べるのは確かだろうけど、スタート時期が遅すぎた。
これまで、メリージムを買ってあげられず5カ月も過ごしてしまったのが残念すぎて、またまたサトイモが不憫な気持ちになった。


初めての離乳食

 

離乳食講座を受けた翌日、初めての離乳食にトライした。
最初は十倍粥。
アカチャンホンポで買った、炊飯器でお粥を炊くジャーを使う。



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炊きあがったお粥を、さらにすり鉢ですりつぶす。
つぶしてもつぶしても、なかなかドロドロにはならない。

講座では、
「裏ごしをするのは葉物野菜だけでけっこうです。ほかも裏ごしをすれば、なめらかで食べやすいかもしれませんが、そこから粒を大きくしていくのにハードルが高くなってしまいます」
と言われた。

きっとそのとおりなんだろうけれど、最初の最初だから、裏ごしをすることにした。

パクパク食べてくれそうな子ならいいけれど、うちのサトイモは食が細そうだから、なるべく食べやすくしておきたかった。

最初はスプーンで1くちか2くち。

スプーンをサトイモの口に運んでみた。

もぐもぐ。



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よだれと一緒にお粥がだらだら出てくる。
飲み込んだかどうかわからない。
舌はベロベロ動いているけれど、そのせいで全部出ているような気がする。

そういえば、母の食事介助をしていたときも、舌が動くせいで食べ物が全部押し出されてくるのを、何度も押し返して口の中に戻してたっけ、と思い出していた。
「はら、ゴックンして」
とひとくちずつ気長に付き合ったものだ。

母の場合は固形からドロドロへと移行したけれど、サトイモの場合は逆になる。
なんだか人生がUターンしたみたいだ。

これから一週間は毎日1回、お粥を食べさせる。
早くうまくゴックンして、早くパクパク食べるようになっておくれ。

初めてのおんぶと童謡名曲大全集

低月齢のうちは寝てばかりだったサトイモも、だんだん起きている時間が長くなった。
起きている時間の長さに比例して、起きていて何をするのか、手を余すようになってきた。

一人にしておくと、自分で寝返りをして腹ばいになり、手を口に突っ込んで、よだれを垂れ流しながらウニャウニャしゃべっている。
ウニャウニャ、フニャフニャ言っているうちはよいのだけれど、やがでそこに時折、

キャーーーーーーーッ!!!

という奇声が混じる。
泣き声というか叫び声というか、とにかく耳を覆いたくなるような、すさまじい高音の周波数だ。
かなりの音量なので、ご近所さんに迷惑になっていないか、気が気ではない。
冷房のために締め切っていた夏と違って、最近は窓を開けているだけに余計気にかかる。

これまでのように泣き声やぐずり声だったら、
「ちょっと待ってね」
と言いながらだましだまし待たせておくんだけれど、

キャーーーーーーーッ!!!

と叫ばれてしまうと、放っておくわけにはいかない。
慌てて飛んで行って、
「シーッ!叫ばないで!」
と口を覆いたくなる。

叫び声をやめてもらうためには、とにかく抱っこである。
いったん抱っこをしてしまうと、今度はおろせなくなる。
おろすそぶりをみせただけで叫び出すのだ。
腕は疲れてくるし、家事は停滞するし、スマホの操作も何もできないしで、ほとほと困り果てる。

そういうときのために、家の中だけで使うための簡易抱っこ紐を買った。
エルゴの大仰な抱っこ紐と違って、布がクロスになっているだけのものなので、簡単にささっと抱っこできる。

腕の疲れを軽減するにはそれで十分で、買ってしばらくは満足していた。
けれど、何もできないという点では、抱っこは抱っこ。
抱っこでも洗濯を干したり取り込んだりくらいはできるけれど、抱っこでキッチンには立てない。

おんぶができればなぁ…。
おんぶなら、たいていの家事ができるのに…。

おんぶができるようになるのは、首がすわってから。
だから首がすわるのを首を長くして待ち続けてきた。

そのくせ、やっと首がすわったというのに、なんとなく怖くておんぶができなかった。
抱っこと違って、おんぶは後ろが見えないから不安だったのだ。

今朝、叫び声を上げ続けるサトイモに、意を決してエルゴの抱っこ紐でおんぶをやってみることにした。
洗わないといけない食器もたまっているし、洗濯機の終了ブザーも鳴ったばかりだ。

おんぶにチャレンジするには今しかない!

説明書の手順を見ながら、まずは横に抱いて、くるりと背中に回す。
見えないから不安だけれど、何度も鏡で確認しながらやってみた。

初おんぶ成功。

やってみたら、なんてラクチンなんだろう!と目からウロコがボロボロ落ちた。
両手が完全に空くので洗濯物は普通に干せるし、ぐずり出したら適当にゆすれば泣かないし。
抱っこに比べて効率200パーセントアップ!(←実感比。)

そういえば、妊娠中に父親から、
「ほんで、ネンネコは買わんでええんか?」
と聞かれたことがあった。
「今どきネンネコなんて使わないよ~」
と私は一笑したのだけれど、先人の知恵をバカにするものじゃなかったな。
抱っこもおんぶも、今も昔も、母親がやっていることは同じなのだ。

おんぶなんて、みんな当たり前のようにやっている。
でも、初心者にはおんぶでさえ未経験。
子供を持たなかった頃には、「初めてのおんぶ」がエピソードになるなんて思いもしなかった。

こうやって、ちょっとずつ親の階段を上がるのだな。


どうやって遊んでいいかわからない

 

活動時間がだんだん長くなってきたサトイモ
かといって、おもちゃを与えても一人ではなかなか遊んでいてくれない。

今のところ、本を読んであげるか、童謡を歌ってあげるかくらいしか、過ごすバリエーションがない。
散歩に出かける、という手もあるけれど、ちゃんと計画を立てておかないと、出かける準備をしている間泣き通しになってしまう。

赤ちゃんと遊ぶには手遊び歌がいい、というのを見て、YouTubeでやっている『ぞうきんの歌』を覚えた。(下リンクの動画がそれ。)

www.youtube.com


最初はあまり反応がなかったけれど、最近では笑ってくれるようになった。
ほかにも手遊び歌はあるけれど、この『ぞうきんの歌』が一番喜んでくれる。

とは言っても、1曲1分程度で終了。
もっと一緒に遊べる方法はないか、と思い、一昨日「親子ヨガ教室」に参加してきた。

生後2か月から2歳のお誕生日までの赤ちゃんとその親が対象だったので、サトイモと同じくらいの赤ちゃんがたくさん来ていた。
ヨガといってもほとんどが軽いストレッチのようなもので、赤ん坊を抱いたままでもできたり、一緒に動いたりするものを紹介してくれた。
(軽いストレッチといっても、身体の硬い私にとっては、脚は開かないし腕は上がらないし、昨日から軽い筋肉痛。)

座って開脚した足の間に赤ん坊を置いて、赤ん坊の身体を左右に揺らしながら『どんぐりころころ』を歌ったり、赤ん坊の身体をなでながら『まつぼっくり』を歌ったりするのは、赤ん坊には遊びになり、親にはストレッチになって一石二鳥だった。
おかげで遊びのレパートリーが増えた。

そんなふうな、サトイモのご機嫌取りで毎日が終わる。


おもちゃのチャチャチャ

『ぞうきんの歌』に次ぐ、サトイモのヒット曲第2位は『おもちゃのチャチャチャ』だ。

抱っこしながら歌って踊るとすごく喜ぶ。

特に、「チャチャチャ」の部分でステップのように足踏みすると、ケタケタ笑ってくれる。

この曲、元祖プレイボーイ、野坂昭如の作詞。

当時「チャチャチャ」は音楽ジャンルとしてオシャレな大人のための最先端のダンスだったんじゃないか。

私は小学校の音楽会でこの曲をピアニカで演奏したけれど、「チャチャチャ」なんて音楽ジャンルがあるなんて知るよしもなかった。

おもちゃとチャチャチャのダジャレだったなんて。

大人になって発見することも多々ある。

 

私の童謡バイブル

私が童謡を歌うときに使っているのが、この歌集だ。


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いざ童謡を歌おうと思っても、歌詞がうろ覚えだったりする。

ネットで調べてもいいけれど、一曲ずつ歌詞検索をしないといけなくなるので、こういう歌詞本はとても便利だ。

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実はこれ、『たのしい童謡名曲大全集』という5枚組レコードについているブックレットで、レコードは私が子供のときに買ってもらったものだ。

私は父がこれを買ってきてくれたときのことをよく覚えている。
幼稚園の年長さんだったと思う。小学校に上がる手前だったかもしれない。

1枚目の1曲目が『ぞうさん』だった。

正直、幼稚園児の私は、
「エーッ! お父さんには悪いけど、私、こんな童謡を聞くほど小さい子じゃない!」
と思った。
思ったけれど、箱入りの立派なレコードが申し訳なくて、言えなかった。
子供ながらに、父が自分をいつまでも子供でいてほしいと思っている気がして、自分は童謡を喜ばないほど大きくなってしまったのがやるせなかった。

そんなことだから、このレコードはあんまり聴かなかった。
高そうなレコードセットなのにもったいないなぁ、という気持ちだけが残った。

妊娠していることがわかったとき、このレコードのことが真っ先に頭に浮かんだ。

今、こうやってこの歌集を使っている。

本自体は劣化しているけれど、内容は全く色褪せていない。
子供に聴かせたい童謡にはどんな曲があったかな、と思い出すにもすごく優秀なリストだ。(もくじ画像を最期に並べますので、ご参考に。)
神戸の家にはレコードプレーヤーがないので、スマホAmazon Musicで同じ曲を再生しながら歌っている。

レコードからスマホになっても、歌の良さは変わらない。


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停電と心医と憂鬱

幸い、私のうちは台風21号による被害がなかった。
逆に、夫の会社が自宅待機で家にいてくれたおかげで、家事や育児を手伝ってもらえるという恩恵を受けたくらいだ。
夫は今年二度も帰宅難民になっているので(大阪府北部地震台風20号)、会社は今回早々に自宅待機命令を出していた。さすがに学習したらしい。

台風が接近するにつれて、見知った場所の惨状がどんどんネットに上がっていた。
停電が起きて、「冷凍庫の冷凍食品が心配」「アイスクリームが溶けちゃう」なんていう呑気なつぶやきに混じって、こんな深刻な発信があった。

障がい者福祉のNPO法人「月と風と」のインスタグラムである。

 


難病ALSの利用者さんのお宅での停電。

呼吸器、たんの吸引器、エアマット…。
命をつなぐ医療機器が止まってしまう…。

幸い90分ほどで復旧したらしくてよかったけれど、長引いたらと思うとゾッとする。

そうこうしていたら、北海道で地震
停電が続いているというニュースを聞くたび、医療機器が必要な人たちは大丈夫だろうかと思う。

医療機器じゃなくても、エアコンが使えないことで熱中症になる可能性も高くなる。
岐阜の病院でエアコンが故障して、80代の入院患者4人が熱中症で亡くなるという事件があったばかりだ。
停電が長引くと、そんな危険性も出てくる。

おまけに水道が使えなかったら、高齢者は特に水分不足も心配だ。
血液の濃度が高くなって血栓ができやすくなると、脳梗塞心筋梗塞のリスクだって高まる。

いつもどおりの生活ができるよう、一刻も早くライフラインが復旧しますように。

 
岐阜の病院の話題で

 

先週日曜日、たまたま『サンデージャポン』を見ていたら、岐阜の病院のニュースをやっていた。


20日にエアコンが故障したのに、病院が適切な対応をしていたのかどうかが話題の中心だった。
それについて、ひな壇の西川史子がしたコメントは、「家族にも問題がある」というようなものだった。
一週間も異変に気が付かないで放っていた家族に問題があると。

んんんん????

みちょぱとか藤田ニコルとかの女の子が言うならだけど、この発言が一応医師免許がある人によるものだからショックだった。

確かに、高齢の親をほったらかしにし、ろくに見舞いに来ない子供もいるだろう。
けれど、子供が遠く離れていたり、身寄りがなかったり、老々介護だったり、見舞いに来る家族がいない患者だっている。
患者に携わっている医師ならばこそ、家族の数だけ事情があることはわかっているはずだ。
彼女には、親を見捨てる子供しか記憶に残っていないのか、そもそも患者の家族の事情に寄り添う心を持ち合わせていないのか。

もし、私の母が同様の目にあっても、彼女からは同じように言われるんだろうな…。
「1か月に一度しか見舞いに来ない娘に問題がある」
そう思うと悲しくなってしまった。

正直、母が入院している病院も、安心できる病院ではない。
けれど、転院時にそこ以外に選択肢がなかった。

そんなどこか不安のある病院だったとしても、
「ちゃんと対応してます」
と看護師とかに言われてしまえば、それ以上、突っ込んでどうこうできるものでもない。
患者は、病院や医師を信頼するしかないのだ。

想像だけれど、もしお見舞いに行って病室が暑いことに気がついたとしよう。
「冷房故障してるんですか? 大丈夫ですか?」
と病院側に尋ねたとして、
「今、対応中です」
と言われたら、信じて引き下がらざるをえないのが現実じゃないだろうか。

「これ大丈夫なんですか?」「今やりますから大丈夫ですよ」「そうですか」…。
そんなやり取りを、私はこれまで何度も交わしてきた気がする。

だから、見舞いに行かない家族や、行ったとしても異変に気が付かなかった家族に問題がある、という西川史子のコメントはどうかしているにもほどがある。

信頼に応えられなかった病院に責任があるのが当然だからだ。
西川史子がどんな医者なのか知らないけれど、この人には絶対に診療してほしくない。


理想の医者像

今、『ホジュン~伝説の心医~』という韓国ドラマを毎日見ている。
朝鮮王朝時代に実在した伝説の医者の話だ。
ホジュンの師匠がこんな言葉を言い、ホジュンはずっと心に止めていた。

「医者は人から尊敬されていようがいまいが、命を扱っているという点でどんな職業よりも崇高である。だが、医者にとって大事な一点が欠けていたら真の医者とは言えん。それは“愛”だ。病に苦しむ人々とその痛みを分かち合い、心から患者を慈しむ気持ちがあってこそ心医となれるのだ。この世が待ち望む医者とはまさしく心医のみである」

患者の身分や貴賤にかかわらず、患者のために全力を尽くす主人公ホ・ジュンに対して、ライバルであるユ・ドジは出世欲が強く、王様の主治医である御医になるために必死な人だ。
この二人の対比が、現代にも通じる、医者という職業をうまく表しているなぁと思う。
今も昔も、患者のために医療を志す医者がいる一方で、ステイタスや肩書きや金儲けのために医者をやっている人がいる。

心医は一握り。
ツチノコみたいに幻の存在。
だからドラマになる。


人の数だけ憂鬱の形はある

先日行ったサトイモの4か月健診の問診票に、「産後、憂鬱になったことはありますか」というおなじみの質問があった。
私はそういうところで嘘を書けないので、面倒くさいのはわかっていたけど、「ある」に丸をしてしまった。

結果、ヒアリングでやはり、
「憂鬱になるのはどういうときですか? どんなことが不安ですか?」
と尋ねられる。

適当にごまかすことができずに、赤ん坊ができたために親の介護ができなくなったことを話した。
「介護サービスをうまく利用してはどうですか。入院中なら病院でちゃんとしてくれるでしょう。ご両親のことはプロにまかせて、あまり心配せずに、今は赤ちゃんの世話に集中してもいいんじゃないでしょうか」
と区役所の人は言う。

そんなことはわかってるんだよ。
とっくにやってる。

でも、ときどき憂鬱になる。

憂鬱ってものは、そういうものでしょう?

夜中に授乳をするのに起きると、そのあと目が冴えて眠れなくなることがときどきある。

身体が動かない母が、テレビもない病室でじっと退屈に耐えているのを想像する。
私が母だったら、と思うと、とたんに身体のどこかがかゆくなる。
かゆくなっても、母だったら身体を掻けないので、私もじっと我慢してみる。
つらくて、悲しくて、息苦しくなってくる。
呼吸がうまくいかない気がして、窒息死のことを考える。
窒息は苦しい。
死ぬのは怖い。

心が弱いと、そんな考えにおぼれてしまいそうになる。

いかんいかん。

そんなときは、いっそのこと起きて、何かを食べるようにしている。
お腹が減っているから、心のエネルギーが減るのだ。
お腹がいっぱいになると、眠くなれる。

食べてもダメなら、YouTube桂米朝の落語を聞く。
同じ部屋で寝ているサトイモには悪いけれど、幸い、一度寝てしまったら小さな音じゃ起きない良い子だ。
名人の落語に集中すると、いつのまにか眠っている。
さすが人間国宝。やっぱり米朝師匠の落語が天下一品やなぁ。

そうして朝が来てお日様が出てくると、夜の闇と一緒に憂鬱はどこかへ出かけていく。
憂鬱は心に住む犬のようなものだから、飼い慣らすしかない。

4カ月健診に行ってきた。

神戸市では、区役所で乳児の4カ月健診とBCG接種を同時に行う。
金曜日、うちの息子サトイモも受けてきたばかりだ。

もう満5カ月になっているのに4カ月健診だなんておかしいけど、もともと2週間前に受ける予定だったのを、予防接種の関係で変更してもらった。

予防接種は満2カ月から受けられる。
最初スケジュール表をもらったとき、あまりの数にクラクラした。
Hiv、小児用肺炎球菌、B型肝炎、ロタ、四種混合、ポリオ、BCG、日本脳炎…、まだまだある。
案内冊子とカレンダーを突き合わせながら、漏れや間違いがないようにスケジュールを組んだ。

ほとんどの予防接種は自分で病院に予約を入れて受けにいく。もう前半の山場は超えた。
けれどBCGだけは例外で、神戸市から指定された日に区役所で一斉に受けることになっている。
当日の説明によると、神戸市は結核患者の多さにおいてワースト5に入る状況らしく、そのために4カ月健診と同時に一斉に受けることになっているのだとか。

私は自分で列に並んでツベルクリンとBCGを受けたのを覚えている。だから、幼稚園か小学校低学年だったはずだ。
子供だからなんの注射だか全くわからず、ただ嫌だった記憶しかない。
今回、接種にあたって説明を読んで初めて、それが結核予防なのだと知った。
だったら、結核予防接種って言ったらいいのに、なんでBCGなんだろう。


そんなに大きくなかった

 

4カ月健診では、まずBCGや離乳食に関する説明をみんなで聞いて、そのあと順番に身体測定、診察を受け、BCG接種を受ける、という流れだった。

身体測定は身長、体重、頭囲、胸囲を計測する。
オムツ一丁の赤ちゃんたちが、母親に抱かれて列をなす。
ついつい、ほかの子がどんな様子か、気になってしまう。
ここでも、うちのサトイモは一番髪の毛が薄かった。

計測している最中、サトイモは頭囲・胸囲を測るメジャーの端っこをつかんで離さない。
「あらあら、つかむのが上手ねぇ」
保健師さんが優しく言ってくれたのをいいことに、サトイモはそれを口に入れようとする。
この日だけでも何十人の赤ちゃんを計測しているメジャーだ。そんなのナメナメしたら、また口にカビが生えちゃう!

計測値は母子手帳の4カ月健診の欄と乳児身体発育曲線の欄に記録してくれた。
発育曲線のグラフを見ると、生まれたときは標準を示す色付きのエリアから外れていたのが、今は追いついて、中に入ってきている。


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健診後の栄養相談コーナーで、
「できれば粉ミルクを減らして母乳メインにしていきたいんですが」
と相談すると、
「発育曲線グラフの色のついたところは、100人赤ちゃんがいたらどのあたりか、という目安です。真ん中が平均です。今は色のついたところに入っていているものの、まだ下のほうですよね。これまでは欄外だったので学年の一番前だったのが、前から三番目くらいになってきたくらいです。これまで頑張ってぐーっと追いついてきたのに、今ミルクをやめてしまったら、このまま下のラインで推移することになるかもしれません。平均を超すまでは混合をお勧めします。」
と言われてしまった。

色がついた帯部分については特に説明がないので、入っていたら大丈夫なんだと思っていた。
鵞口瘡を診てもらったとき、小児科の先生に「大きい」って言ってもらったので勘違いしてしまった。
当分、ミルク混合はやめられそうもない。

がっかり。

そのうえ、ミルクの回数についても相談すると、
「間隔が5~6時間も空くのは空きすぎです。水分不足が心配です。うんちが毎日出ないのもそのせいかもしれません。欲しがらなくても4時間くらいのペースであげてください。」
と言われた。
サトイモはよく寝る子で、長時間眠ってくれる。
こっちは楽ができるけれども、それでいいのか心配だった。
やっぱり起こしてでも授乳したほうがよかったのか…。
3カ月のときに病院で相談したときは、
「何時間に1回と決めなくてかまいません。この子のペースに合わせてあげてください。寝てくれたら、お母さんは『ラッキー!』と思って休んでいいんですよ」
と先生が言ったのに。
相談する人によってまちまちなのは困るけれど、それだけ子育てに正解はないってことなのかな。
ただ、「水分不足」という指摘が気になるから、あまり時間が空かないよう気を付けよう。


新たな四文字熟語に遭遇!

 

身体測定のあとは診察を受けた。
聴診器で胸の音を聞いて、診察台ではガラガラを見せて目で追うか、振り向くか、とか、うつ伏せにして首を上げるか、などの検査をした。
先生はたくさんの赤ちゃんを次々を診察しなければならないから、テキパキ、パパパっと処理していく。

突然オムツを外すやいなや、人差し指でサトイモの睾丸を触り始めた。

な、何!?

グリグリ、グリグリ、グリグリグリ…。

何度も触る。

私が戸惑っていると、
「う~ん、ちょっと水が溜まってますね」
と先生が言った。

「何か悪いんですかっ!?」
「ちょっと水が溜まってるだけです」
「それって何なんですかっ!?」
「いえ、多かったら針で抜くこともありますけど、ちょっとだけですからね~」

こちらは意味がわからないので非常に不安になっているのに、先生は何も説明をしてくれない。
悪い病気なのか、原因は何なのか、それが悪化するとどうなるのか…。

カルテには「陰嚢水腫」と書かれる。

だから一体何なのよ~!?

鵞口瘡もそうだったけど、漢字の病名って怖い。
うちの母親が「パーキンソン病関連病」と言われたとき両親ともにあまり深刻にならなかったのも、病名が「パー」から始まる響きだったからだ。
あれが漢字の羅列だったらもっと怖がっていたじゃないかと思う。

結局、陰嚢水腫については、
「次に予防接種に行くときにでも、主治医に経過を診てもらってください」
と言われただけだった。
「陰嚢水腫」だなんて数が多い四文字の漢字を書かれ、なんの説明もなく「経過観察」と言われても…。

家に帰ってからネットで調べたら、乳児にはままあることで、かつ、自然に治癒することが多いみたいだ。確かに大した問題ではないようだった。
まったく、ネットがなかったら子育てやってられんぞ。
インターネットがある時代、万歳。


多国籍な健診

 

区役所の健診会場には同じ月齢の、いろんな赤ちゃんがやってくる。
親もさまざま。

さすが神戸だなと思ったのは、外国人の赤ちゃんが複数いたことだ。
私と同じ回には、インド系のママ、ヒジャブをつけたイスラム系のママ、アフリカ系黒人のママ、金髪碧眼の白人のママがいた。
アジア人は見た目にはわからないのではっきりわからないけれど、中華系の人もいた。韓国人もいたかもしれない。

その中で、私が気になったのは白人のママだった。

私はその白人のママを知っていた。
出産で入院していたとき、向かいの病室だったフランス人のカトリーヌさんだった。(仮名。)

カトリーヌさんには赤ちゃんのほかに二人息子がいて、病室によく出入りしていた。
上の息子さんは小学校低学年くらい、下の息子さんは3、4歳くらい。
兄はいつも病院の廊下を走り回っていて、一人で運動会をやっていた。
挙句の果てに転んで口を切って、院内の小児科の先生に診てもらうというハプニングがあった。
兄に負けず弟もウロウロする子で、一度間違って私の病室に入ってきたことがあった。
そのときはお父さん(やはりフランス人)がすぐに連れ戻してくれた。

この日、カトリーヌさんは下の息子と赤ちゃんの3人だった。
ほかの外国人はみんな夫も同伴で来ていて、夫婦で健診に臨んでいた。
言葉や文化の壁を二人で乗り切ろうとしていたのだろう。

一方、カトリーヌさんは一人で赤ちゃんと幼児の二人を面倒みなくてはならない。
日本人でも大変だろうに、カトリーヌさんは日本語ができないからなおさらだろう。
そんなママの傍らで、息子は会場内を自由奔放にかけ回っていた。
ほかにも上の子供を連れてきたママはたくさんいたけれど、カトリーヌさんの息子ほどやんちゃをしている子はいなかった。

カトリーヌさんはあまり笑顔のでない人だった。
常に息子を注意しながら、不機嫌で、ひどくイライラしているように見えた。

身体測定だとか診察だとかの待合で一緒になるたび、私は話しかけようかどうしようか迷った。
「私、あなたを知っています。同じ病院で、向かいの病室だったんですよ。」

彼女は日本語ができないのは知っていたから(病院で看護師が話していた)、話しかけるとしたら英語だけれど、その勇気が出なかった。
向こうもフランス人だから英語で話しかけられたってうれしくないかもしれない。
突然下手な英語で話しかけられたって迷惑だろうか…。

躊躇するうち、BCGのコーナーでカトリーヌさんはスタッフの人たちと何やらやり取りをしていた。
言葉がうまく通じてないらしく、しばらくしたら「Interpreter」の腕章をつけた通訳スタッフがやってきた。
「英語、中文」と書かれていたから、彼女はどうやら中国人で、英語も日本語も話せる人のようだった。
カトリーヌさんはその通訳スタッフともやり取りをしていたけれど、しばらくしたら会場からいなくなってしまった。
BCGを受けずに帰ってしまったみたいだった。

英語が下手だとか、そんなことを気にせず話しかければよかったな、と後悔した。
初めての子供である私と違って、カトリーヌさんは3人目の子供だから、それほど心配することはないかもしれない。
それに、話しかけたところでなんの役にも立たない。
けれど、もし自分が逆の立場だったら、あいさつをする人がいるだけで孤立感が少し和らぐだろう。

なんとなく、カトリーヌさんのことが気にかかってしょうがなかった。

この先、もしカトリーヌさんに出会うことがあったら、勇気を出して話しかけてみよう。
フランス語は無理だから、もうちょっと英語の勉強をしなくちゃ。

孤立しがちな日本の子育てを思うと、なんかせつない。