3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

丸大ハムの子と昔の子育て環境

サトイモのゴンタぶりに相変わらず翻弄させられている。

一昨日はまたシュレッダーゴミをぶちまけられてしまった。


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そのうえ、片付けようとすると、この世の終わりかというくらい嫌がって泣き叫ぶ。

 

家にいるとメチャクチャにされるので、できるだけお出かけする。

週末は夫と三人で西宮ガーデンズに出かけた。

夫が発売されたばかりのブルース・スプリングスティーンの新しいアルバムを買いに行っている間、スカイガーデンという屋上庭園で待つことに。

そこには、噴水広場があった。

 

ヤバい予感はわかっていたけれど、少しだけ自由にさせると、サトイモは喜んで走っていく。

最初は裸足になるだけ、手で触るだけだったのが、最終的には全身で水を浴びてしまった。

この日は木枯らし1号が吹いたくらい、冷たい風の日。

なぜ寒くない!?

止めようとすると大暴れして、笑いながら走っていってしまうので制止できなかった。

私ができることはタオルと着替えを用意して待っているだけ。

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整体の先生に、サトイモがゴンタで困る、という話をしたとき、

「生まれる前に夫婦で、どんな子どもになってほしいかっていう話はした?」

と尋ねられた。

そういえば、男の子だとわかってから2人の意見は一致して、

「ワンパクでもいい、たくましく育ってほしい」

が望みだった。

「そのとおりに育ってるやん。親孝行な子やで」

そう言われてみると、親の望みどおり丸大ハムな子どもになっている。

うーん、そうか、今は私が望んだ状況なのか…。

 

おうちイヤは続く

最近困る「おうちイヤ」病についても、それだけ好奇心旺盛な証拠だ。

遠くにお出かけなんてしなくても、普通の歩道でさえサトイモには遊び場になる。


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お気に入りの採水口では、まるで船の操舵のようにグルグル回すし、 舗装が割れたタイルを積んだりパズルをしたりして遊ぶ。


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ストリート・デストロイヤーの田中偉一郎みたいに、ストリートで作品を作るアーティストになってくれたらうれしいけれど、今はただ横で、

「もう行くよ~。そろそろ帰ろうよ~」

とウンザリして声をかけるばかりである。

10分で帰れる道が1時間かかる。

無理やりやめさせようとすると泣いて暴れるだけなので、できるかぎり待つ努力はしているけれど、私の時間は空気のように消えていく。

 

昔の子育ては苦労が見えない

サトイモがゴンタで困っているときに、最近よく考えるのが、

「昔の人はどうしていたんだろう?」

ということである。

 

一つは、周りが田んぼや畑なら、少々放っておいても危険がないので、自由に遊ばせておけるだろいうということ。

現代では車も自転車も通るので、道で遊ばせているときに放っておくわけにはいかない。

違う意味で怖い、幼児性愛者のおじさんがやってくるかもしれない。

いろんな要因で親が注意すべきことが増えている。

 

 

私の母には弟が2人いたが、いつも弟たちの面倒をみさせられていたそうだ。

下の弟をおんぶして、家の手伝いをしていたという。

現代でも、子どもが2人3人いるとさぞ大変だと思いきや、

「上のお姉ちゃんが面倒みてくれるのよ」

なんていう話もちらほら聞く。

家族が多ければ手が増える。

 

苦労人の代表である「おしん」も、子どもの頃こそ子守として働いていたが、自分が子どもを産んでからは、源じいというじいやがいたり、はっちゃんという子守の女の子を雇って養子にしたり、決して一人で子育てをすることはなかった。

カーネーション」の糸子だって、従業員だったり子守の子を雇ったりして、仕事ができる環境を整えている。

 

そうでなくても、昔は三世代同居が当たり前だったから、姑の苦労はしても子育ての苦労はそれほどなかったのかもしれない。

姑の苦労のほうが大変だから今の様式になったんだろうけども。

 

ワンオペ育児、という言葉が出てきたのは最近。

「子育てなんて、大昔から人間がやってきたことだ」

と思っていたら、大間違いな気がする。

じゃあどうすれば解決するのかはわからないけれど。